ドーヴァー海峡に面しフランス国境に近いベルギーの町オステンドに 「ジェームズ・アンソールの家」があります。
ジェームズ・アンソール(1860-1949)はここオステンドの生まれで、 ブリュッセルの美術学校で学んだ以外は、他の画家のようにパリに出るでもなく、 一生を独身のままオステンドで過しました。
両親の営んでいた観光客相手の土産物店に並んでいた貝殻やカーニバルのお面が アンソールの画に強い影響を及ぼしているのは、よく知られています。
このアンソールの家も1階はそうした土産物店になっていますが、 両親の営んでいた店とは異なり、1917年に伯父夫婦が営んでいた 店と家を相続したもので、彼は死ぬまでここで暮らしました。
アンソールはシュルレアリスムや表現主義に強い影響を与え、 近代絵画の先駆者と見做されていますが、マグリット同様晩年までは不遇でした。
現実の世界に潜む醜さを容赦なく暴く彼の画風は 当時の人々から見ると余りにも過激で、展覧会には落選を続け、 所属していたベルギーの前衛画家集団「二十人会」からも1888年には 全作品の出展を拒絶される始末。
彼の代表作「キリストのブリュッセル入城」はその年に描かれた 258cm x 431cmの大作ですが、キリストのエルサレム入城のパロディーで、 当時は受け入れ難いものだったのかもしれません。
しかしボスやブリューゲル等のフランドルの先達の画家達の 怪奇な絵画の伝統を考えれば、その延長上にあるようにも見えます。
キリストは世に認められないアンソール自身、仮面をつけたような群衆は キリストを殺せと叫んだ人々を、自分をこきおろす批評家や画家仲間に見立てて、 彼等の鑑識眼の無さ、無知、新しい芸術への無理解を嘲笑うものだったのでしょう。
この頃の絵は、現在のアンソールの家の直ぐ近くの実家の屋根裏部屋にあった、 彼のアトリエで描かれました。
「キリストのブリュッセル入城」が広げられるだけの空間はなく、 キャンバスを折り曲げたり、裾を床にはわせたりして描いたのだとか。 それに対してアンソールの家の2階にあるアトリエはぶ厚い絨毯が敷かれ、 シャンデリアが下がり、凝った造りのテーブルと椅子が置いてあります。 天井も高く、ここならあの大作も収まりそうです。
アトリエというより応接間の雰囲気で、実際アンソールはここで客をもてなし、 自らの絵について語ったといいます。
皮肉なことにアンソールの傑作は全て狭い屋根裏部屋で描かれており、 創造力の衰えた晩年になって、逆に名声は上がり、 69歳でベルギー国王から男爵授与、 73歳でフランスのレジオン・ドヌール勲章を授与されたりしています。
ユーロに切り替わる前の100フラン紙幣を飾ったりもしているのです。
3階の居間だった所にはピアノの後ろの壁に「キリストのブリュッセル入城」が かかっており、アトリエにもいくつか絵がかかっていましたが、 全て複製で本物は1作もありませんでした。