美術館訪問記-143 アウグスト・マッケ美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:マッケ作
「自画像」1909年
ボン市立美術館蔵

添付2:アウグスト・マッケ美術館外観

添付3:アウグスト・マッケ美術館内部、マッケのアトリエだった所

添付4:マッケ作
「妻の肖像」1909年
ドイツ、ミュンスター、ヴェストファーレン州立美術館蔵

添付5:マッケ作
「小道の眺め」1914年 水彩、
ドイツ、ミュルハイム・アン・デア・ルール州立美術館蔵

添付6:マッケ作の風景画

統一以前の西ドイツの首都だったボンには「アウグスト・マッケ美術館」があります。

アウグスト・マッケ(1887-1914)は建築業の家の生まれですが、画家を志し、 17歳でデュッセルドルフの美術学校に入学すると、直ぐ父親が死亡し、 後に妻となる友人のエリザベスの伯父ベルンハルト・ケーラーの援助を得て、 学業とロンドン、パリ、イタリア等への勉学の旅を続けます。

ケーラーは成功した実業家で、著名な美術コレクターであり、 早くからマッケの才能を見抜き、彼を援助すると同時にマッケの助言で マッケが心酔したセザンヌやルノワール、ゴーギャン、ゴッホ、マティス、 フランツ・マルク等を収集しました。

マッケは22歳でエリザベスと結婚。翌年には子供も生まれ、 24歳で現在美術館になっている家を購入。

4階の屋根裏部屋をアトリエにして制作に励むことになります。

この間、23歳でフランツ・マルクと生涯の友情を結ぶ仲になり、 「青騎士」の2回の展覧会にも参加し、若くして名声を確立します。

1914年4月にはパウル・クレー等とアフリカのチェニジアを2週間旅行し、 ドラクロアが80年程前にモロッコで経験したような、 強烈な陽光と鮮烈な色彩に強い衝撃を受け、数十点の水彩画を残しています。

しかし、1914年に勃発した第一次世界大戦に招集され、同年9月戦死。 まだ27歳。画家としては僅か数年の活動期間でした。

私も昔はマッケについては全く知らなかったのですが、 ドイツを1ヶ月近く旅する間、方々の美術館で彼の作品に接し、 そのほのぼのとした暖か味のある絵、透明感ある豊かな色彩、 セザンヌを思わせる単純化した構成、 底流に漂う詩情に一度で引きつけられてしまいました。

このマッケの家だった美術館にはマッケの油彩画5点、デッサン4点、 リトグラフが1点展示されていました。

近くのボン市立美術館には郷土の生んだ夭折の天才画家を偲んでか、 マッケ作の31点の絵画と3点の彫刻がありました。

マッケの親友フランツ・マルクも1916年戦死。

マッケの妻エリザベスは幼子二人を抱え、 マッケの幼い頃からの一番の友だったローター・エルトマンと1916年に再婚。

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