美術館訪問記-142 ヴィラ・シュトゥック美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:シュトゥック作「自画像」

添付2:シュトゥック作
「罪」
ミュンヘン、ノイエ・ピナコテーク蔵

添付3:シュトゥック作
「サロメ」
市立レンバッハハウス美術館蔵

添付4:ヴィラ・シュトゥック美術館外観

添付5:ヴィラ・シュトゥック美術館内部

前回の市立レンバッハハウス美術館から東へ3kmほど行き、 イーザル川を越えた所に「ヴィラ・シュトゥック美術館」があります。

フランツ・フォン・シュトゥック(1863-1928)は村の粉引きの生まれでしたが、 15歳でミュンヘンに出て苦学しながら、美術アカデミーを卒業。 レンバッハの影響を受けています。

雑誌の挿絵描きで生活費を稼ぎながら、力を蓄え、 1892年ミュンヘン分離派の旗揚げの一員となります。

世紀末を象徴するような退廃的で蠱惑的な彼の画風は、 30歳で描いた「罪」でセンセーションを巻き起こします。

大蛇を首に巻き、輝くような白い裸身を曝し、暗闇から見る者を凝視する女。 魔力的な美しさで男を惑わせる「ファム・ファタール(宿命の女)」。

ここではフェルナン・クノップフやギュスターヴ・モローの象徴主義の 強い影響が窺えます。

同じ頃、既に終幕を迎えていたフランス印象派が光の効果を追求するものなら、 彼の絵は闇を追求するとでも言うのでしょうか。

32歳で美術アカデミーの教授として迎えられ、教え子にカンディンスキー、 クレー、キルヒナーなどの逸材を輩出したことが彼の名声を一段と高めました。

1900年のパリ万博では金メダルも得ています。

画家、版画家、彫刻家、デザイナー、建築家として他方面で才能を発揮した彼は、 社交界の寵児となり、「芸術家の王様」と呼ばれるようになります。

その絶頂期に、ミュンヘンの高級住宅地に自ら設計した豪邸が ヴィラ・シュトゥック。

入口には個人の家とは思えぬような、ギリシャ風の太い円柱が4本、 屋根やファサード、玄関にはシュトゥックの作成した彫刻が飾られています。

室内も凝った造りで、彼の絵画が自画像も含めて40点余り。 彫刻や室内装飾もほとんど彼の手になるものばかりのよう。

2階のアトリエは、人の眼を気にする事のないシンプルな造りになっていました。

こうして見て来ると、ルーベンス、レイトン、ソローリャ、レンバッハ、 シュトゥックと西洋の画家達は、王侯のような豪奢な邸宅が目に付きます。

社交によって肖像画や自己を売り込む職業上の必要もあったのでしょうが、 それだけ画家の社会的地位が高かったということもあるのでしょう。

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