美術館訪問記-139 ラファエロの生家

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ラファエロの生家

添付2:ラファエロ作
「自画像」(16歳)
オックスフォード、アシュモレアン博物館蔵

添付3:ジョヴァンニ・サンティ作
「聖母子」
ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵

添付4:ラファエロ作
「聖母子」

添付5:ウルビーノ山頂からの眺め

第18回で触れたイタリア、ウルビーノに「ラファエロの生家」があります。

ウルビーノはマルケ地方の山頂にある街ですが、ラファエロの家は モンテフェルトロ公フェデリコが建てた、ドゥカーレ宮殿に 谷を挟んで向き合う丘のラファエロ通りと名のついた急坂の頂近くにあります。

彼はここで生まれ、16歳までを過ごしたと考えられています。

父のジョヴァンニ・サンティはピエロ・デッラ・フランチェスカの弟子で ドゥカーレ宮殿の宮廷画家でした。

また詩人でもあり、フェデリコを称える詩が残っていますが、 その中に27人の著名画家の名を挙げているのが興味深い。

フラ・アンジェリコ、ドメニコ・ギルランダイオ、ボッティチェッリ、 レオナルド・ダ・ヴィンチ、フィリッピーノ・リッピ、ペルジーノ、マンテーニャ、 ジョヴァンニ・ベッリーニ、コスメ・テューラ、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、 マザッチョ、ウッチェッロ、アントネッロ・ダ・メッシーナ等。

全てが今日も名の知られている画家ばかり。

イタリア人画家だけでなくヤン・ファン・エイクや ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの2人のフランドル画家も含まれています。

15世紀末にウルビーノの小宮廷に仕える人間としては、 時代の先端を行く知識人だったようです。

ラファエロはこの父の薫陶を受けて育ち、幼少から画才を発揮しますが、 8歳で母を亡くし、11歳で父も亡くなります。

既に再婚していた父の後妻とこの家で16歳までを過ごし、 師のペルジーノの住むペルージャに移り住むのです。

ラファエロの生家は4階建ての立派な造りで、 2,3階の10部屋ほどに種々の絵画が飾ってある。

殆どがラファエロ作品のコピーですが、写真ではなくプロの画家の描いた模写です。 地元の画家達の作品もありました。 ジョヴァンニ・サンティの作品も含まれます。

ラファエロの作品は唯1点、最初期の剥離フレスコ画「聖母子」があります。

幼くして亡くした母の面影を偲んで壁に描いたのでしょうか。 安心しきって眠る幼子キリストにラファエロの心情が重なります。

ここには後に「聖母の画家」と言われたラファエロの聖母の神々しさよりは、 若い庶民の母への憧憬が窺えます。

生家を出て直ぐの山頂から見るマルケ地方の眺めは、 ラファエロの生まれた530年前の昔と変わらずに広がっているかのようでした。 

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