美術館訪問記-140 ゲインズバラの家美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:トマス・ゲインズバラの生家正面

添付2:フランシス・ヘイマン作
「デート」

添付3:ゲインズバラ作
「アンドリューズ夫妻」
ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵

添付4:ゲインズバラ作
「ルーベンスの「キリスト降架」模写」

添付5:ゲインズバラ作
「トレーシー子爵夫人ハリエットの肖像」

添付6:ゲインズバラ作
「朝の訪れ」

添付7:トマス・ゲインズバラの生家内部

添付8:ゲインズバラ・デュポン作
「メンディップ夫人の肖像」

イギリス、ロンドンから北東に100kmほどの町、サドベリーに トマス・ゲインズバラの生家があり、今は美術館になっています。

ここは画家の生家が美術館となっている所としては英国では唯一、 かつゲインズバラの作品展示数では世界一といいます。

1727年、ゲインズバラはこの家で、9人兄弟の末っ子として生まれました。 父親は羊毛業者。

素人画家の母の手ほどきで絵を学んだゲインズバラは13歳でロンドンに出、 フランシス・ヘイマンのもとで修行します。

ヘイマンはイングランド・ロイヤル・アカデミー創設時のメンバーの一人で 最初の司書職に就いています。

18歳で結婚したゲインズバラは、父の死で1748年この家に戻ってきます。

同年この町で結婚式を挙げたのが町の領主、アンドリューズ。

結婚を記念してゲインズバラが描いたのが現在ロンドンの ナショナル・ギャラリーにある「アンドリューズ夫妻」。

アンドリューズとその新婦が、一族の領地が見渡せる場所でポーズをとっています。 画家はふたりをキャンバスの左に寄せ、右には広大な景色を描いています。

ゲインズバラはこの出世作で彼の肖像画家と風景画家の両面を 見事に統一して見せたのです。

しかし、サドベリーには肖像画の注文主は僅かで、 1752年ビジネスを求めて近くの大きな町、イプスウィッチへ移る事になります。

7年後、上流階級の肖像画の需要が見込めるバースへ移り、 彼等の所有するルーベンスやヴァン・ダイクの模写をして、 ゲインズバラ独特の優雅で気品ある画風へ脱皮します。

かくして肖像画の名手として一世を風靡し、王室の注文も受けるようになりますが、 彼自身は「肖像画は自分の職業だが、風景画は自分の楽しみである」と 言っています。

注文主の意向に合わせて技巧を凝らした肖像画に比べると、 自分の好みで描いた風景画は伸び伸びとして、 寧ろ彼の持ち味がより良く出ている気がします。

彼の郷愁を呼び起こすような風景画には、見る者の心を動かすものがあります。

ジョージ・フロストという素人画家が、 ゲインズバラの去った数年後にイプスウィッチに移り住み、 ゲインズバラの風景画に感嘆し、彼の風景画や素描を多く収集し、 それらの場所を特定して自分も同じような絵を描いていました。

後にイギリスを代表する風景画家になったジョン・コンスタブルも、 20歳の時に、ゲインズバラの風景画を学びに1796年イプスウィッチを訪れ、 50歳のフロストは彼のコレクションを見せ、共にスケッチに出かけています。

フロストのゲインズバラの風景画への憧憬と情熱は 若いコンスタブルに影響を与えたに違いありません。

「ゲインズバラの家美術館」には ゲインズバラの油彩、デッサン、木版画、合計26点が展示されており、 1階の通路にホガースの小品と他の画家数点もありました。

ゲインズバラの甥で、彼のアシスタントだった ゲインズバラ・デュポン (1754-97)の作品も9点あります。

デュポンは助手として、師によく似た絵を描いており、名前も紛らわしく、 トマス・ゲインズバラと混同されることもあるようです。

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