美術館訪問記-136 カーサ・ブオナローティ

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:カーサ・ブオナローティ

添付2:ミケランジェロ作
「階段の聖母」

添付3:ミケランジェロ作
「ケンタウロスの戦い」

添付4:ジュリアーノ・ブジャルディーニ作
「ミケランジェロの肖像」

添付5:ミケランジェロ手書きの買い物指示メモ

ヴァザーリの家からアレッツォの話が3話続きましたが、 今回はそのヴァザーリの師だったミケランジェロの家についてです。

イタリア、フィレンツェに「カーサ・ブオナローティ」という美術館があります。

ここはミケランジェロ・ブオナローティがシスティーナ礼拝堂の天井画制作の ためにローマに行く直前、1508年に購入した場所に建てられた家なのです。

しかし彼は実際ここに住んだことはなく、甥のレオナルド・ブオナローティに 遺贈され、彼がそれまで貸家にしていた3軒の小さな家を潰して、 ミケランジェロのプランに基づいて1軒の家に建て直したものだそうです。

ですからミケランジェロの家とは言えないのですが、 ここが世界で唯一のミケランジェロ専門の美術館なので、 今回カバーしておきましょう。

ブオナローティ家はこの家に300年に渡って居住し、 その間、考古学的資料やミケランジェロに関する資料を収集し、 メディチ家からミケランジェロの作品が返却されたりして、 ミケランジェロ記念館のようになっていきました。

ブオナローティ家の最後の後継者となったコジモが これらの収集品もろとも家屋を市に遺贈し、1859年美術館として開館。

ここの最大の見物は ミケランジェロの今に残る最初期の浮き彫りが2つもあることです。

一つは「階段の聖母」。 1491年、ミケランジェロ16歳の作で、独創的な過去に類例のない構図。

マリアは左手を向き、聖母子像というのに、正面を向いていません。

幼子キリストに至っては後ろ向きで後頭部と背中が見えるのみ。 しかも右手が後ろ向きで上体を捩じり、早くもマニエリスム的徴候を見せています。

マリアの手足は異常に大きく頑丈で、 キリストの体も筋肉質でとても幼子には見えません。

しかし、マリアの顔の神々しいまでの端正さ、 流麗な髪と身に着けた衣の流れるようなフォルム。 正に天才しか生み出せない造形です。

もう一つは「ケンタウロスの戦い」。翌年17歳の作。

これはラピタイとケンタロウロスとの戦いを表したもので、 ラピタイ族の結婚式の宴に呼ばれたケンタウロスが初めて飲んだ酒に悪酔いし、 その本性である乱暴で好色な面をさらけだし、花嫁を誘拐しようとします。 それに怒ったラピタイ族は彼らと戦い、追い出したという逸話に基づきます。

それにしては上半身人間、下半身馬というケンタウロスは 浮き彫りの最下部に横たわっているだけで、 残りの登場人物は全て人間同士が争っているとしか見えません。

強いて言えば、 中央に配された人物が下半身が隠れたケンタウロスというのでしょうか。

まるで空白への恐怖を示すような隙間なき肉体の乱舞。

「階段の聖母」がドナテッロのスキアッチャート(極薄肉浮き彫り)の手法を 継承しているのに比べ、 ここではミケランジェロ独自の丸彫りに向かう人体表現の誕生を告げています。

この美術館には、ミケランジェロがメヂチ家から頼まれて果たせず、 500年後の今も打ちっぱなしのままになっている、メヂチ家の教会、 サン・ロレンツォ聖堂のファサードのミケランジェロ作成の木製模型や、 同じ1475年生まれで、共に当時フィレンツェ最高の画家、 ドメニコ・ギルランダイオの弟子になった、ミケランジェロ終生の友、 ジュリアーノ・ブジャルディーニ作の油彩画「ミケランジェロの肖像」もあります。

興味を引いたのは、絵葉書で売っていた、 ミケランジェロが工房にいた弟子に指示した手書きの3食分の食事の買い物メモ。

弟子が当時珍しくなかった文盲だったのか、絵入りで指示しています。 上から、パン2個、ワイン差し一つ分のワイン、ニシン一匹等。

生涯妻帯しなかったミケランジェロは 弟子を含めた食事の献立まで考えていたのかと思うと、何だかやるせない。

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