美術館訪問記-129 ザッキンの邸宅兼アトリエ

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ザッキン美術館

添付2:ザッキン美術館

添付4:モディリアーニの素描
「ザッキン」

ブールデルもそうだったように、19世紀末から20世紀初頭にかけて モンパルナスは数多くの芸術家が暮らす街でした。

そのやや東、リュクサンブール公園の南にある 「ザッキンの邸宅兼アトリエ」が美術館になっています。

ロシア生まれのオシップ・ザッキンは1905年、15歳の時に母親の実家のある イギリス北部サンダーランドの工芸美術学校で造形を学び、 ロンドンの大英博物館で古典彫刻に感銘し、彫刻家を志すようになります。

1909年パリに出、エコール・ド・パリを形成する外国人芸術家たちが多く住む 「ラ・ルーシュ」(蜂の巣)と呼ばれる集合住宅兼共同アトリエで しばらく過ごします。

ここでピカソ、モディリアーニ、藤田嗣治達と親交を結び、 キュビズム運動やアフリカ彫刻の影響を多く受けます。

画家のヴァランティーヌ・プラックスと結婚する時には 藤田嗣治が証人として立ち会っています。

そんな関係もあってか日本びいきの彼は二科展にも出品し、 日本を何度か訪れてもいます。

東京隅田川にかかる中央大橋にある、ザッキン作「メッセンジャー」は、 当時パリ市長だったシラクが1989年、 セーヌ川と隅田川の友好河川提携を記念して贈呈したものです。

1928年ザッキンは今美術館のある場所を購入。 以後住み続けることになります。 1940年から1945年までは第2次大戦を逃れてアメリカに住みましたが。

1967年彼は死亡。 妻も1981年亡くなると、家と土地、作品はパリ市に寄贈され、 翌年市は美術館として開館しました。

ここには400を超す彫刻、ほぼ同数の素描、3500枚の写真があり、 適時入れ替えながら展示されています。

モディリアーニの素描1点と彫刻数点もあり、 ザッキンの彫刻にもモディリアーニの影響が強く出ているものがありました。

彫刻の点在する庭はザッキン在りし日のままの姿で、 穏やかな雰囲気を残しています。

パリの騒音の届かぬ木陰に座り、 静寂のなか、彼の作品を愛でながら憩うのはいいものです。

(*添付3:ザッキン作「メッセンジャー」および 添付5:ザッキンの代表作「破壊された都市」 は著作権上の理由により割愛しました。
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