美術館訪問記-128 マイヨール美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:マイヨール作「地中海」

添付2:マイヨール美術館

添付3:マイヨール作
「川」

添付4:マイヨール作
「スカーフをしたディナ」

添付5:ボナール作
「影になったヌード」

添付6:ジュール・パスキン展ポスター

再びパリに戻ります。

ブールデルはロダン学院の教授としても ジャコメッティやマイヨール等の著名な弟子を育成しました。

そのマイヨールの美術館がロダン美術館から500m程東に行った場所にあります。

「マイヨール美術館」は、実はロダン美術館やブールデル美術館とは異なり、 マイヨールは住んだことはないのですが、 パリにある彫刻家の美術館の中では私の最も好きな美術館なのです。

アリスティド・マイヨール(1861-1944)はスペインに接する地中海沿岸の小さな村 バニュルス=シュル=メールに生まれ、画家を志して20歳でパリに出、 国立美術学校を受験するのですが、ロダン同様3回失敗。4回目にやっと合格。

やっと入った学校では、そのアカデミズムに失望し、 ドニやボナール、ヴィユヤール等ナビ派のメンバーと親しく行動します。

パリで出会った同じ年のブールデルはマイヨールの芸術に理解を示し、 その後一貫してマイヨールを支えました。

自分の絵に満足しなかったマイヨールは31歳で生まれ故郷に戻り、 タピストリーや陶芸の工房を始めます。

しかしやがてタピストリーの仕事で視力を弱くし、彫刻家に転身するのです。 既に40歳になっていました。

43歳でサロン・ドートンヌに出品した初の大作裸婦像「地中海」が認められ、 彫刻家としての地位を確立します。

ロダンが文学、歴史、人間関係等から題材を採り、 ブールデルが男性的で力強いモニュメンタルな像を追求したのに比べ、 マイヨールは裸婦像一本槍でした。

その古代ギリシャ彫刻のように均整のとれ、優美で生命力のある造形は どこにあっても一目で彼の作と認識でき、見る度にドキリとさせられます。

ところでこの美術館はマイヨールが1934年、73歳の時にモデルとして雇い、 その後82歳で死亡するまで、彼のミューズとして彼女の作品を作り続けた、 ディナ・ヴィエルニが1995年にオープンしたものなのです。

ディナはマイヨールに会った時まだ15歳でしたが、 余程魅力的な女性だったらしく、同じようにモデルを務めたマティスの援助を得て 第2次大戦後ギャラリーを開き大成功。

デュフィ、カンディンスキー、ピカソ、ルソー、マルセル・デュシャン等を 扱いました。マイヨール作品の全ての著作権を持ち、管理にもあたったのです。

この美術館は18世紀に建てられた邸宅で、ネオ・クラシック様式の 華麗なファサードには、「四季の泉」という風格ある彫刻が施されています。

入ると直ぐ、マイヨールが死の前年ディナをモデルにして創った 「川」というタイトルの、 大きな女性裸像が仰向けに横たわっているのに驚かされます。

第2次大戦のさなか、時代の波に押し流されていく人間の恐怖を表したものですが、 見たことのない独創的なフォルムと重量感で、 この瞬間からマイヨールの芸術に引き込まれます。

ここは3階建てで、32部屋の内、マイヨールには12部屋が割かれています。

彼は元々画家だったので晩年まで絵を描き続け、 ディナをモデルにした油彩やパステル画もあり、 それ以前の絵やスケッチも展示されています。

残りの部屋はディナのコレクションに充てられているのですが、これが凄い。

彼女の取り扱った画家達にそれぞれ1部屋ずつ割り当てているのは 当然かもしれませんが、他にもセザンヌ、ピサロ、ドガ、ルノワール、ゴーギャン、 マティス、ルドン、ドニ、藤田、ヴァラドン等に加え、ロダンの1部屋もあります。

マイヨールの親友だったボナールのためにディナがモデルを務め、 ボナールの最後の代表作となった「影になったヌード」もあります。

またここでは、後年フランス美術界の大立者になったディナの財団主宰の企画展が 常時開催されていますが、それがまた魅力的なのです。

私はここの企画展でクリスチャン・シャドに開眼しましたし、 ジュール・パスキン展の時は世界中から134点も集め、 内94点が個人所有という大画商のディナ以外では考えられない構成でした。

彼女は2009年89歳で永眠しました。

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