前回触れたフランス、ランスにChapelle Foujita「フジタ礼拝堂」があります。
藤田嗣治はFoujitaと綴っていました。 Fujita と書くとフランス人は「フュジタ」と発音するからです。
ランスはフランス第一の格式を持つノートルダム大聖堂のある都市で、 パリの東北東140kmほどの所にあります。
何よりもシャンパンの本場として知られています。
そのシャンパン会社、G. H. Mummの社長レネ・ラルは藤田の友人で、 彼の頼みでMumm社の前の広い道路を挟んだ空き地に、 藤田が全てを任された、礼拝堂が建っています。
藤田は1955年フランスに帰化し、 1959年レネ・ラルを教父として洗礼を受けました。
1964年からこの礼拝堂に取り組み、 ロマネスク様式の堂の設計、ステンドグラス、彫刻、金物のデザイン等、 全て一人でやりました。
何より、前回記した礼拝堂の内壁を埋めるフレスコ画が素晴しい。
80歳にして始めてフレスコ画に挑戦したとは思えぬ出来で、 ルネサンスの大家達と比べても全く遜色ありません。
ヴィリエ=ル=バクルのアトリエに残る下絵と全く同じ図柄もあります。 聖母マリアに礼拝する藤田自身と君代夫人の姿も描き込まれています。
前庭には十字架の石塔が建っていますが、この十字架を背負っているのは キリストならぬ幼児で、お地蔵さんのようにも見えます。
他に類例のない不思議な塔です。
日本国籍を捨てたとはいえ、終生日本人としての誇りを持って生きた藤田の、 和洋混交の平和への鎮魂の現われでしょうか。
小さな鐘が2つ屋根の上についたロマネスクの礼拝堂は、 しみじみと心に響いてくるものがあります。
彼はこの礼拝堂のフレスコ画を最後の大作として、完成の2年後の1968年死亡。
2003年には生前の彼の希望通り、 パリ近郊にあった墓からこの礼拝堂に改葬されました。
君代夫人は40年以上を経た2009年に、東京で亡くなりました。98歳でした。 遺言により遺骨はこの礼拝堂に埋葬されました。
注:
フランスには日本語ではランスと書く都市が二つあるので混同しないように。
一つはここで採り上げたランス(フランス語ではReims)。
もう一つはルーヴル美術館の別館が2012年末に開館したランス(Lens)。
二つの町は直線距離で160km離れています。