美術館訪問記-116 レイトン・ハウス美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:レイトン・ハウス美術館外観

添付2:レイトン作
「フレイミング・ジューン」

添付3:レイトン・ハウス階段付近

添付4:レイトン・ハウス「アラブ・ホール」

添付5:ワッツ作
「フレデリック・レイトンの肖像」1871年

イギリス、ロンドンに「レイトン・ハウス美術館」があります。

フレデリック・レイトンは画家で彫刻家。 イギリスのアカデミー・オブ・アーツの会長職に死ぬまであった、 生粋のアカデミアンです。

描いた絵は歴史画、物語画、神話、宗教画が殆ど。甘美な画風です。

ドイツ、イタリア、フランスで美術を学んだ彼は、英独伊仏西の5カ国語に堪能で、 交際も幅広く、イギリスで画家としては初めて貴族に列せられ、 1896年男爵になりましたが、受爵の翌日に狭心症で死亡。

彼は生涯独身だったのでレイトン男爵家は1日で消滅。 英国貴族家の最短記録を残すことになりました。

従ってレイトンは、一時的な栄誉称号である「サー」とは異なり、 貴族称号である「ロード」をつけ、ロード・レイトンと呼ばれます。

「サー」称号は個人に与えられるため、ファーストネイムにつけて呼び、 「ロード」は家に与えられるためラストネイムにつけて呼びます。蛇足ながら。

レイトン・ハウスは独特です。

他の画家の家と異なり、住んだことのあるのはレイトン唯一人。 客用の寝室はありません。

既存の家を手直ししたのではなく、彼自身が理想の芸術家の家を目指して、 30年かけて造り上げたものなのです。

ホーランド公園の直ぐ傍にあり、ハウスの庭も彫刻が配され、 小公園の趣があります。

家は2階建て。1階と2階に5部屋ずつ。

特にヴィクトリア女王をはじめとする上流階級の人々や、 当時一流の芸術家達を頻繁に招待した、1階のダイニング・ルームや、 レイトンが中近東の旅で買い求めた陶器、テキストタイルを使って作り上げた、 中央に噴水のあるモザイク床のアラブ・ホール等は、 貴族趣味などかけらもない私でも、思わずため息のでる素晴しさ。

特にアラブ・ホールはロンドンで一番美しい部屋と言えるでしょう。

2階にはアトリエとして使った、高い天井の大広間や寝室があります。 アトリエは置かれたグランド・ピアノが小さく見える程の広さと高さの空間です。

このハウスは美術館としても申し分なく、2004年に訪れた時は 各部屋にレイトンの油彩67点、素描11点、水彩3点とレイトンの収集した、 バーン=ジョーンズ8点、ワッツ、ミレイ、アルマ=タデマ、ウォーターハウス、 ティントレット等の絵画が飾られていました。

真に理想の、画家の家美術館です。

2010年に再訪した時は、160万ポンドをかけた大修復の後でしたが、 なるべくレイトン死亡時の装飾状態に戻すということで、 バーン=ジョーンズはなく、 その場所にコローの縦長の大作4点がかけられていました。

しかしコローにしては色彩が明るすぎるのでスタッフに確認すると、 本物はレイトンの死後売却され、今はロンドンのナショナル・ギャラリーにあり、 修復に際して現代画家に依頼した模作ということでした。