美術館訪問記-112 デューラーの家

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:デューラー作
「自画像」1493年
ルーヴル美術館蔵観

添付2:デューラー作
「自画像」1498年
プラド美術館蔵

添付3:デューラー作
「自画像」1500年
アルテ・ピナコテーク蔵

添付4:デューラー作
「片翼」水彩画
ウィーン、アルベルティーナ美術館蔵

添付5:デューラーの家

添付6:デューラー作
「メランコリー」1514年
フランクフルト、シュテーデル美術館蔵

ルーベンス、レオナルド・ダ・ヴィンチとくると、釣り合う天才は ドイツ絵画史上最高の画家と言われるアルブレヒト・デューラーでしょうか。

彼は1471年、イタリアとヨーロッパ北部を結ぶ貿易都市ニュルンベルクで 金細工師の家に生まれ、父親から金細工と描写の基礎を学びながら育つのです。 この事が後に彼の繊細な線から成る版画作成に大いに役立っています。

父親はデューラーに金細工師を続けさせたかったのですが、 描写に非凡な才を発揮した彼は、第58回でも触れたように、 15歳で画家ミハエル・ヴォルゲミュートの門を叩きます。

1490年に見習い期間を終えると、当時ドイツでは慣習となっていた、 画家としての武者修行の旅に4年間出かけるのです。

ヨーロッパ各地を巡る修業中にデューラーは西洋美術史上初といわれる自画像を 1493年に描いています。故郷で待つ彼の婚約者に送ったものと考えられます。

これはルーヴル美術館にあり、現在の若者のような、 赤いインディアン風のつけ髪をして、エリンギウムを手に持っています。 エリンギウムは日本では松笠アザミと呼ばれ「夫の貞操」を意味するのだとか。

それが1498年になるとプラド美術館にある、 自分を貴族に見立てた自信たっぷりの肖像画に変わります。

1500年にはミュンヘンのアルテ・ピナコテークにある、 自らをキリストに見立てた自画像になる訳です。 まさに神がかりです。

これら自画像を観るだけでも、デューラーが経験と実績を積んで 画家としての自分に、自信と確信を持っていく様が窺えます。

また上記の肖像画のサインは彼の名前の頭文字AとDを組み合わせたもので、 史上初のモノグラム(氏名の頭文字など、文字を組み合わせたマークやサイン)を 個人名として絵の署名に使用した人物でもあります。

またデューラーは水彩画を芸術として認めさせた、初めての画家でもあります。

絵画修業のため旅した彼は、携帯に便利な水彩道具を使い、 各地で目にした自然や動植物をスケッチブックに描きとめています。

その細密で写実に徹した描写力には驚嘆するしかありません。

ところでドイツ南部、人口50万を超える大都市、ニュルンベルクの小高い丘の上に 神聖ローマ皇帝の城、カイザーブルクが今も残っています。

その城の直ぐ下に「デューラーの家」があります。 1420年建立の家をデューラーが買い取り、改造して、 1509年から亡くなる1528年まで過した家。

敷地はそれほど広くなく、狭い階段で幾つもの部屋が繋がれた5階建て。

入口で日本語の音声ガイドを貸してくれ、 この家を切り盛りしたデューラーの妻の口から、 主婦の見たデューラーの生活を、部屋毎に話してくれます。

従ってデューラーの作品の解説は一切ありません。

この音声ガイドは操作しなくても、 部屋に入ると自動的にその部屋の説明が始まります。

所々にデューラーの絵がかけられていますが、全て複製です。

版画を生業にできた初めての画家と言われる、 デューラーの使った大きな刷り機も置いてあり、実演もしていました。

(*添付7:山口蓬春作「向日葵」は著作権上の理由により割愛しました。
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