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美術館訪問記 No.11 バーンズ・ファウンデーション

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

バーンズ・ファウンデーション入口(メリオン)

バーンズ・ファウンデーション内部(メリオン)

バーンズ・ファウンデーション内部(メリオン)

スーティン作「ケーキ職人」

マティスの壁画「ダンス」

珍しいセザンヌのヌード「レダと白鳥」

マティス作「赤いマドラスのターバンをした女」

今回はお好きな方も多いと思われる、印象派とそれ以後の作品を所有する美術館についてです。

印象派の美術館というとパリにあるオルセー美術館と思われるかもしれません。 しかし、それに勝るとも劣らぬ美術館があるのです。
何とルノワール181作、セザンヌ69作、マティス59作等、 総計2500点に及ぶ印象派前後の絵画を有する、質量共に世界一のコレクション。

それはアメリカのフィラデルフィア近郊の町メリオンにあります。

その名は、「バーンズ・ファウンデーション」。

ドクター・バーンズが個人で収集し、死後、財団が管理している美術館です。

眼病の新薬を29歳で開発し、その製造・販売で10年後には巨万の富を得ていた ドクター・バーンズは美術の勉強に打ち込み、十分な知識を得て1912年から パリに通い、美術館や画廊を廻り、ピカソやマティスなどの画家とも個人的に会い、 確信を持って、当時は安かった印象派やこれら「新進画家」の作品を買い漁りました。

それら新進画家の一人にシャイム・スーティンがいます。 彼は今のベラルーシの村一番貧しかったという家の10番目の子供で、 20歳の時に絵描きになるべく、パリに出てきます。

芸術の都パリへ憧れて出てきたいわゆるエコール・ド・パリの一員として、 ロシア人のシャガール、ポーランド人のキスリング、日本人の藤田嗣治等と 交わりますが、何せ食うや食わず。 イタリア人のモディリアーニは、自分も楽ではないのに、彼の面倒をみますが、やがて肺結核で死亡。

苦しいスーティンを救ったのがバーンズでした。亡きモディリアーニの頼みもあってスーティンの作品を預かっていた、 画商ポール・ギョームの画廊にやってきた彼は、スーティンの「ケーキ職人」を見て感動。

「スーティンはゴッホよりもはるかに重要な画家である」と絶賛したといいます。 即座に置いてあった60点を全て買い付け。

見た事もない大金を受け取ったスーティンは、その場でタクシーを呼び止め、パリから900kmはあるニースへ向かったとか。

これらの収集品がバーンズの自宅のあった、メリオンの住宅街の中にある、2階建ての家の26の全ての部屋の壁に、 3・4段にビッシリと隙間無く展示されています。おまけに、ここの1階にはバーンズがマティスに、この部屋のために依頼した 特殊な形状の壁画「ダンス」があるのです。

こんな美術館は他に見たことがありません。

なぜこれだけの美術館が余り知られていないかというと、バーンズが収集した20世紀初頭当時は、ヨーロッパでも人気があったとは言えない印象派やピカソ、スーティンなどの作品は、アメリカの田舎町では周囲の理解が全く得られなかった。

「バーンズは大金をドブに捨てた。頭がおかしい。」「展示室は伝染病のたたりにおかされている。」とまで書かれ、 怒った彼は収集作品を限定された友人にしか見せず、本人が書いたルノワール論やセザンヌ論、マティス論以外、 出版も、写真を撮ることすらも許さなかった。

遺言にも「一点たりとも貸し出し、複製、売却することを禁ずる。」としたぐらいです。

しかし家屋の老朽化に伴う改築費用捻出の為、裁判所の許可を得て、1993年、ワシントンとフォートワース、パリ、東京、トロントの5箇所だけに僅か83点のコレクションを巡回させました。バーンズ・ファウンデーションに行く以外、もう2度と見られない特別展です。

この時はメリオンから車で1時間足らずのワシントンでさえ、見物の為、長蛇の列ができたほどでした。 東京で同じような列に並ばれた方もおられるかもしれませんね。私も行きましたが、上野の国立西洋美術館の周りを取り巻く行列の余りの長さに呆れて、引き返しました。

この83点だけにはカラーのカタログ本が出版されました。

今では、予約は必要ですが、年間を通して見学できます。私が最初に訪れた1989年時は春秋の土・日曜日だけ限定100名の予約制でした。それまでどんな本や雑誌でも見たことのなかった作品群に驚愕した記憶があります。

バーンズ・ファウンデーションは現在フィラデルフィア移転のため閉鎖中。1993年のツアーから、美術館が有名になり、 かなり前からメリオンの高級住宅地の住民達から騒々しいと不満が出ていたのに答えてのこととか。

裁判所は2002年、新館建設に必要な資金を集める事を条件に、遺言を無視して全作品を移動させてもよいとの許可を出しました。バーンズ・ファウンデーションは2億ドルの資金を募り、条件をクリア。 今年の5月19日グランド・オープンを迎えます。1億5千万ドルをかけた新ビルの予約受付は今年の3月1日から。 私は6月1日の予約が取れました。

新ビルではどんな展示になっているのか楽しみです。


注:

エコール・ド・パリ:パリ派。1920年代パリに集まりボヘミアン的な生活をしていた外国人画家達の総称。
印象派のような特定目的を共有する流派と異なり、お互いの交流はあってもそれぞれは一匹狼。

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