美術館訪問記-107 北海道立近代美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:北海道立近代美術館

添付2:北海道立近代美術館内部

添付3:ジュール・パスキン作
「ソファに腰かけるシュザンヌ」

添付4:ジュール・パスキン作
「花束をもつ少女」

添付5:モイズ・キスリング作
「オランダの娘」 

添付6:国吉康雄作
「横たわる裸婦」

添付8:エミール・ガレ作
「鯉文花器」

日本の4大地区の内、残る北海道の美術館の筆頭に挙がるのは「北海道立近代美術館」でしょうか。

札幌市の中心部にあり、通りを隔てた隣は知事公館。

この公館も緑に囲まれていますが、美術館の前庭も緑多き公園のようになっており、 色々な動くオブジェや彫刻が配置されていて、一般に公開されています。

美術館はいかにも近代美術館というモダンな造りで、1977年の開館。

「パスキンとエコール・ド・パリ」、「北海道の美術」、「ガラス工芸」の 3つの柱を中心に作品の収集・展示を行っているとかで、 特にパスキンは油彩・水彩・素描合わせて220点以上を所蔵していると いいますから、圧倒的に世界一のコレクションでしょう。

ジュール・パスキンは本名 ユリウス・モルデカイ・ピンカス。 ピンカス(Pincas)の綴りを変えパスキン(Pascin)とつけたアナグラムです。

ブルガリアの生まれで、ウィーン、ミュンヘンなどで美術を学んだ後、1905年、 パスキンと名乗って20歳でパリに出、本格的に画業に取り組みだすのです。

1914年第一次大戦の勃発と共にアメリカに逃れ、パリから追って来た女流画家 エルミヌ・ダヴィットと結婚。アメリカ国籍を取得します

大戦終結後の1920年、パリに戻り、モンパルナスに居を構えます。

淡彩と無駄のない線によって表現された、はかなげで透明感のある女性像で、 描いたそばから売れる人気者になり、得た金を惜しげもなく浪費する生活で 「モンパルナスの王子」の異名を取るようになります。

しかし荒れた退廃的な生活でアルコール依存と鬱病に苦しむようになり、 不倫関係にあった、友人ペール・クローグの妻のリュシーに愛想を尽かされ、 1930年、自宅アトリエの浴槽で手首を切ったうえ、首を吊って自殺。

扉には「さようなら、リュシー」と血文字が書かれていたといいます。

2007年の春パリにいた時、マイヨール美術館でパスキン展を開催中で、 その時134点の作品が展示されていました。

これだけのパスキン作品を一度に観たのは初めてでしたが、 内94点は私有作品でした。

つまり美術館所有作品は40点しかなかった訳で、 それも各地の美術館から取り寄せたものでした。

パスキンが活躍し、彼の葬儀の日は全ての画廊が店を閉め喪に服したという パリですら、この程度しかかき集められなかったのですから、 北海道立近代美術館のコレクションがいかに凄いものかが判るでしょう。

エコール・ド・パリの作品としては、スーティン、キスリング、ローランサン、 ドンゲン、ユトリロ、ドラン、シャガール等に加え、 パスキンの友人だった藤田嗣治と国吉康雄の作品もあります。

国吉康雄をエコール・ド・パリの仲間に入れるのは首を傾げる人もいるでしょうが、 彼はパスキンの勧めで、エコール・ド・パリ華やかなりし頃の1920年代に、 パリを訪れているのです。

北海道の美術としては、多数の作品の中で、山口蓬春の「向日葵」、 岩橋英遠の「道産子追憶之巻」、 片岡球子の35点以上あるという作品群、 一木万寿三の「琴」が印象的でした。

ガラス工芸は私の興味の対象外ですが、エミール・ガレの「鯉文花器」の、 北斎漫画から採ったという、鯉の図が実に面白かったのを覚えています。

(*添付7:山口蓬春作「向日葵」は著作権上の理由により割愛しました。
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