美術館訪問記-104 京都府立陶板名画の庭

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:京都府立陶板名画の庭入口

添付2:ミケランジェロの「最後の審判」
1430 x 1309cm

添付3:鳥羽僧正の「鳥獣人物戯画」
一部拡大写真
原画は京都高山寺蔵全体は原画の2倍に拡大されて60 x 4662cm

添付4:ルノワールの「テラスにて」(手前)と
スーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」

添付5:スーラ作「グランド・ジャット島の日曜日の午後」
シカゴ美術館蔵

添付6:モネの「睡蓮・朝」200 x 1275cm
 原画はパリ、オランジュリー美術館蔵

前回「モネの「大睡蓮」等の規模の衝撃は、現地以外では 世界でもここしか味わえません。」と書きましたが、これは言葉の綾で、 大塚国際美術館の環境展示のように環境まで本物そっくりに作られてはいませんが、 モネの「大睡蓮」の一部などが原寸で観られる場所が別に日本にはあります。

それが京都市左京区下鴨半木町にある「京都府立陶板名画の庭」

世界初の屋外絵画庭園で、展示作品8点全てが屋外にあります。

太陽に照らされたり、豪雨にさらされたりしても、変色や腐食が起こらない 陶板画があればこその美術館です。

安藤忠雄の設計で1994年の開館と、大塚国際美術館より4年早い。

実は大塚化学が本社のある鳴門市に近い鳴門海峡の白砂の有効利用のため タイル事業に乗り出したのは1971年のことで、大塚オーミ陶業設立は1973年。

1980年代には大型陶板による陶板画の技術を確立し、この名画の庭にある4点は、 1990年大阪で開かれた国際花と緑の博覧会の為に制作され、 安藤忠雄の設計によるパヴィリオン「名画の庭」に展示されていたものなのです。

このパヴィリオンはシスティーナ礼拝堂のミケランジェロ作「最後の審判」の 原寸大の展示で話題を集めたのですが、礼拝堂のあるヴァティカン市国の 衛兵に扮した博覧会史上初の男性コンパニオンも人気者になりました。

尚、システィーナ礼拝堂の「最後の審判」は日本テレビの協力で 1980年から1994年まで、大規模な修復が行われ永年のロウソクの煤などで 薄汚れていた表面は洗浄され、製作当時の鮮やかな色彩が蘇りました。

ここにあるのは修復途中のもので、大塚国際美術館では修復後のものが観られます。

他にはレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」、 台北の故宮博物院にある「清明上河図」、日本の鳥羽僧正作と伝わる「鳥獣人物戯画」。 最後の2作は縦横2倍に拡大されています。

巻物のようにやや小さめの絵を好きなように拡大できるのも陶板画の利点です。

残りの4点はこの美術館の為に制作されたもので モネの「睡蓮・朝」とスーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」、 ルノワールの「テラスにて」、ゴッホの「糸杉と星の道」。

モネとスーラは原寸大ですが、ルノワールとゴッホは2倍大。 スーラとルノワールの原画はシカゴ美術館に、 ゴッホの絵はオランダのクレラー・ミュラー美術館にあります。

ジョルジュ・スーラ(1859-1891)はパリの裕福な家庭に生まれ、 国立美術学校で学ぶのですが、兵役に就くため20歳で退学します。

1年で除隊後は一人でドラクロアの色彩を研究し、当時の印象派の画家達の 筆触分割の手法を進めて、点の集まりで絵を描く点描主義を産み出します。

これは光と異なり、顔料は混ぜるにつれ色は暗くなっていくのですが、 小さな点で原色を置いていくと、人間の脳は個々の識別ができず、 混ざった色に見えてしまう。

顔料は混ざっていないので色は明るいままという、 視覚混合という理論に基づくものなのです。

スーラはこの手法を用いた彼の最大の大作で、代表作となる 「グランド・ジャット島の日曜日の午後」を1886年の最後の印象派展に出品し、 大変な評判となるのです。

ちなみにスーラを招いたピサロに反対した、 モネとルノワールはこの印象派展に参加していません。 「視覚混合というような科学理論で描かれた絵は芸術ではない」と言うのです。

批評家は、スーラとスーラの親友で印象派から点描主義に移ったシニャック等を、 新印象派と呼ぶようになります。

この点描主義は細かな点で画面を埋めるために、大変な労力を必要とし、 印象派のピサロも明るい画面に惹かれて一時採り入れたものの、 時間がかかり過ぎるのに呆れて、ほどなく放棄しています。

スーラの場合は、他の画家と違い、裕福な両親からの仕送りで暮らしていたため、 絵を売り急ぐ必要がなく、入念に何枚もの下絵を描いて、 最適と思う構図と色彩を追求できたのでした。

「グランド・ジャット島の日曜日の午後」には少なくとも 28点のデッサンと34点の油彩画習作があり、2年の歳月をかけています。

1作ごとに時間をかけた事と、31歳の若さで病死したため、 スーラの作品はあまり残っていません。

ところで、ここ陶板名画の庭は添付写真でも垣間見えるように、 庭と言っても緑は周囲の借景しかなく、敷地面積の制限内に8作を納めるために、 オープンスペースで地下を掘り、地下2階までの空間をスロープで繋ぎ、 コンクリートで固めた床や壁に陶板を貼り付けているのです。

この複雑な空間構成を利用して、縦14m余りの「最後の審判」の上部や中部も 眼の高さで観ることもできます。

一番奥には地上レベルから地下2階に流れ落ちる滝もあり、 コンクリートと水の面積の多い場所です。

モネの「睡蓮」の上にも水を張っており、まさに睡蓮の群れる池の趣向。

こんな遊びができるのも陶板画ならでしょうか。