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美術館訪問記 No.10 (番外編)

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

ドメニコ・ギルランダイオ作
「ジョヴァンナ・トルナブオーニの肖像」
1488年
マドリード、ティッセン・ボルネミッサ美術館蔵

早くも10回目。今回は番外編。

幾つかの個別のご質問に答えるためにも内情をお話ししておきましょう。

これまで述べてきましたように、知識が深まるほど、新たな美に目を開かせられます。 知っているつもりでも、本質を理解していなかった画家も出てきます。知れば知るほど、絵画の持つ魅力に引き込まれていきました。

何時の頃からか、まだ見ぬ絵画と見落とした絵画を求めて、世界中の美術館や名画のある教会を巡ることが、大きな楽しみになってきました。妻子を連れて観光がてら海外の美術館巡りを始めたのが1989年。

行けるものなら、世界中の訪れる価値のある美術館を全て訪れてみようと思ったのは、北城さんが社長になり、経営企画を任された1993年頃だったでしょうか。私の人生でも最も忙しかった頃です。忙中に閑ありです。

その頃には子供達に手がかからなくなり、年に2回のまとまった休暇は、妻と行く美術館巡りの旅に充ててきました。 ただ在職中は、3度、18日間旅行したのが最高で、普段は1回、2週間も行ければよいほうでした。日本での会社勤めでは、なかなか欧米諸国のような1ヶ月の休みは取れません。現役の頃は時間の制約から、どうしても大都市とその近辺を廻ることになりました。

最初の頃は、今のようにインターネットによる豊富な情報がなく、美術館の見学時間の見積もりは困難でした。 行ってみると、10分で済む寂しい所もあれば、1日かけても観切れない美術館もあります。

まだインターネットによる情報検索、予約システムもなかったこともあり、初日以外はホテルは予約せず、その日最後になった美術館の場所の近くでホテルを探していましたが、これだとホテル探しに時間がかかる。祭り等のイベントとかち合い、ホテルが取れずに冷や汗をかいたこともありました。

美術館の見学時間の見積もりがほとんど狂わなくなった今では、どうしても不確定要素が残る所を除いて、全て予約して行きます。そうすることにより、全ての旅程が明確になり、行動時間がより正確になりました。なによりインターネット上の宿泊客のコメントを重視してホテルを選ぶので、当たり外れがありません。インターネット上にはどの国の言葉も英語に翻訳してくれるサイトがあるので、それを使えば何語のコメントでも英語で読めます。ホテルが決められれば、近くにある好みのレストランを選定しておくこともできます。

退職してからは美術館巡りのプラン作り、旅行、旅行後の整理で一年が過ぎて行きます。

行くと決めた国の、見に行く価値のある美術館をリスト・アップし、その開館時間・休館日と、展示している関心ある画家数を調べ、見学時間を推定し、車での移動時間を計算した上、無駄な時間が出ないよう最も効率のよい行動計画を策定して、日程を決め、飛行機を予約した後、ホテルを予約する。

1ヶ月間の無理・無駄のない旅行計画を作成するには、何度も試行錯誤を重ねなければなりません。絵画鑑賞はボケ防止にもよいのです。

日本の旅行ガイドブックには、観光客が行き易い近場の有名美術館しか掲載されておらず、特に地方都市は一切美術館の記述がない本がほとんど。 一国の全ての訪れる価値のある美術館の漏れの無いリストを作るのには、イタリアやフランスのように全国の美術館のデータベースのある所はそこにどんな絵があるかを一つずつ調べればよいのですが、他はそうはいきません。 ART CYCLOPEDIA のように国名、地名を入れれば、美術館リストを表示してくれる重宝なサイトもありますが、このサイトも美術品のある教会、邸宅はほとんどカバーしてなく、たまに重要な美術館が抜け落ちていることもあり、最終的には訪問国のインターネットを虱潰しにあたるしかありません。

また上記サイトは画家名を入れるとその画家の作品を所有する美術館を表示してくれます。もっとも、超有名画家を除くと美術館のカバー率は70%もありませんが。この時、いかに他国の地名と実際の場所が一致しないかを痛感しました。 美術館の住所が判っても、その都市が何処にあるか判らないのです。都市間の位置関係が判らなければ、旅行プランは作れません。

例えば、フランスは105都市に行きましたが、皆さん、フランスの都市名と実際の所在地を何箇所ご存知ですか? 白地図上で5箇所、正しく指定できる人は尊敬に値します。アバウトでもたいしたものです。絵画鑑賞は地理の勉強にもなるのです。

1回の旅行では、既訪美術館は外すこともありますが、一国全てをできるだけ虱潰しに廻ります。 5週間以内に廻れなければ、何回かに分けます。小国の場合は少なくとも2週間以上になるよう数ヶ国を組み合わせます。

レンタカーの予約は急ぎませんが必要です。美術館毎に分厚い美術館本が増えるので、車で廻るしかないのです。 購入する本は多い時には50kgを超えます。これらは旅の終わり頃に手荷物便で自宅に送ります。

車で廻るメリットもあります。郊外のホテルが利用できるので、都心に比べ2倍の広さの部屋に1/2の価格で泊れます。 都市では美術館への駐車場所を調べておくのも必須です。また美術館巡りをしているうちに、絵画ばかりでなく、彫刻、ステンドグラス、モザイク、寺院、建築、庭園等にも興味の対象が拡大してきました。それらのうち目ぼしいものがあれば、行き先に加えねばなりません。

1ヶ月の旅をするには、このプラン作りに3ヶ月はかかります。出版物しか参照情報が無かった頃は、数時間かけて訪れた先が修理中で臨時休館という事もありましたが、今では各美術館のホームページをチェックすることでそのようなロスも少なくなりました。

昔は曲がるべき所をやり過ごして、詳細地図は正常な旅程分しか用意してなく、往生したこともありましたが、最近はGPS装着のPDAでどの国でもカーナビ可能。ただ、カーナビが故障した時の用意に、車での旅程を印刷したリストも持参します。 インターネットにあるプログラムを使えば、どの国でも2地点間の最適ドライブコースと見積もり時間を算出してリストしてくれます。このリストは車での移動時間を見積もるためにも必要なのです。

旅に約1ヶ月。好きな旅も5週間を越すと流石に疲れが出てきます。外食暮らしに飽いて、身体が妻の手料理を望むようになってきます。美術館では昔のコンピューター用の厚めのカードに画家名を印刷したものに、チェックして、関心のある画家の作品数を記録し、気になる事は裏にメモし、撮影可の所は、絵画とそのコメントも別々に、関心ある物全てを写真に撮ります。

美術館本に載っていない絵も結構あるからです。

日本とイタリア以外は何処の美術館もたいてい撮影可です。

ディジタルカメラになって随分助かりました。今ではカメラとiPadさえあれば、何万枚であろうと撮影、記録できます。 アナログ時代は大量のフィルムの持ち運びと、帰宅後の整理が大変でした。
iPadは写真の記録だけでなく、インターネットやメールも使え、軽量で薄いので、持ち運びも楽です。おかげで嵩張って重い、PCを持参する必要がなくなりました。外国では携帯電話扱いで、飛行場でのセキュリティー・チェックで、PCのようにわざわざ別に取り出して見せなくてもよいのも利点です。日本だけはどういう訳かPC扱いなので、その利点はありませんが。

プラン作りや後の整理も楽しみですが、人と自然の造った芸術と美、人情と風土に触れながらの旅は何物にも代えがたい。 各国の食事、ワインやビールも楽しみです。非日常を満喫する時間と空間です。

帰国後は、旅先で撮った写真、美術館のカタログ、購入した美術館の絵葉書や本を整理・記録・読書し、美術館毎の印象や旅行記を記述するのに3ヶ月はかかります。こうして書き溜めたものが美術館訪問記になっています。
絵画鑑賞は物書きを忘れないためにもよいのです。

日本語の美術館本は少ないので、英語で読むのに時間を要します。 日本語、英語以外の本しかなかった場合は、絵を見るだけで済ますのですが。絵画鑑賞は英語の勉強にもなるのです。

一部オーバーラップしながら一回の旅で前後計6ヶ月かかることになります。こうして2回の旅で1年が過ぎます。

退職後も、朝起きて、毎日やらなければならないことが待っているというのは楽しみでもあります。それも好きでやっているのですから。絵画鑑賞は「小人閑居して不善を為す」事を防ぐのにもよいのです。

ただ必然的に囲碁に割く時間はどんどん短くなってきました。二兎は追えません。特に旅の間は囲碁の事は一切考えません。 感覚を取り戻すのに帰国後数ヶ月はかかります。囲碁の占めていた脳の領域を絵画が侵して行っているのは確かでしょうが。

絵画は自分では動いてくれません。美術館内は歩いて回るしかない。旅行中は平均1日2万歩は歩きます。車での移動距離も半端ではありません。柔な体では3日と持たない。好きな事をできるだけ長く続けるために、雨の日と碁会のある日は除いて、 毎日1万歩は歩くようにしています。絵画鑑賞は身体にもよいのです。

それでも最近は旅行中、1週間に1日は完全休日を取らないと身体が悲鳴を上げるようになってきました。 月曜日が休館の美術館が多いので、この日を休養日に充てることが多い。旅行中は、朝から晩までひたすら美術館巡りで、 いわゆる観光は一切しないのですが、休養日には近くの観光名所に寄ってみたりもします。

ただ不思議な事にこれまで旅行中に病気になった事は一度もありません。自宅にいる時は、風邪を引きそうだなと思うと、 かなりの確率でそうなってしまうのですが、美術館巡りをしている時は、風邪を引いたかなと思っても、一晩寝るとケロッとしています。優れた絵画を観ることが免疫力を増加しているとしか考えられません。確かに、旅行中は明日何が観られるのかと、 遠足前の子供のように、ワクワクしながら眠りに就きます。人生、不惑の40歳を過ぎてワクワクするような事はそうあるものではありません。絵画鑑賞は健康にもよいのです。

退職後一年目はカルチャーセンターや、大学の生涯学習教育の美術講座を中心に、集中的に300講座以上受講し、 それまで断片的だった知識を系統だったものにしてもらいました。特に新宿と横浜で受けた朝日カルチャーセンターの塚本博講師、 目白の学習院大学の有川治男教授の講義は得るものが多かった。その後も興味の持てそうな講座は、散発的に受講するようにしています。

この時、翌年津々浦々を巡る予定のイタリア旅行に備え、イタリア語会話にも1年間通いましたが、これは楽しかった。 クラスメートは女性ばかり。イタリア語会話のある時は少しは身だしなみに気を配るので、妻も喜んでいました。 いままで英語読みでは理解できなかったイタリア人画家名や美術館名がすんなり理解できるようになったのは、その後も役に立っています。

ちなみに有川教授は東京大学大学院卒業後、ドイツの大学院に留学され、帰国後国立西洋美術館の学芸員を13年務められた後、学習院に転じられた方で、私がこれまでお会いした方の中では最も美術館巡りをされており、500近く行かれたとおっしゃられていました。

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