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美術館訪問記 No.2 サンタンドレア教会

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

サンタンドレア教会正面

ドメニコ・ギルランダイオ作
「聖女バルバラと二聖人」

ドメニコ・ギルランダイオ作
「聖女バルバラ」

ドメニコ・ギルランダイオ作
「聖ヒエロニムス」

ドメニコ・ギルランダイオ作
「聖アントニウス」

前回述べたギルランダイオの女性像に魅せられた後、パリのルーヴル美術館を再訪する機会がありました。

今は、レオナルド・ダ・ヴィンチのモナ・リザは一室の中央に他の絵とは隔離されて展示されていますが、その頃はドゥノン翼の大廊下の壁に他の絵と区別無く、並んで掛けられていました。そのモナ・リザの右隣りにギルランダイオの絵が3作も並んで展示されているではありませんか。つまり、ルーヴルは当時ダ・ヴィンチとギルランダイオを同格に扱っていたのです。

実際二人が生きていた頃はギルランダイオの名声の方が高かったのです。 ダ・ヴィンチの3年前に生まれ、大工房を構えて富裕市民や教会からの大量の注文をこなしていた、ギルランダイオのいるフィレンツェを逃れるかのように、ダ・ヴィンチはミラノに自分の居場所を求めたほどだったのです。ダ・ヴィンチがフィレンツェに戻るのはギルランダイオの死んだ5年後のことです。

それまで2度ルーヴルを訪れていたのですが、ギルランダイオの名前は全く記憶になかった。勿論見ていなかった筈はありません。 目の前にしていたにもかかわらず、認識していなかったのです。

同じようなことは、この後も何度も経験しました。知識が深まるにつれ、一度訪れたことのある美術館を再訪すると、以前は認識していなかった名画を見出して愕然とすることになる。 動物園の猿山の猿の顔は我々には全く個体識別ができないが、係りの飼育員さんには訳なく区別できるようなものでしょうか。 「門前の小僧習わぬ経を覚える」というのは何事にも通じると見えます。始めはしっくりこなくても、ある程度の期間一つの事柄に向き合っていると、いつかは理解してくるように思えます。

碁も1000回打って初段と言います。絵の鑑賞についても同じようです。よい絵を見続けていると、自然に違いがわかるようになり、 それぞれの良さが理解できてくるように思えます。

なかでも私がギルランダイオに最後のノック・アウト・パンチをくらったのは、イタリア、フィレンツェから12kmほど北のチェルチ―ナにある「サンタンドレア教会」でした。

まだGPSつきのカーナビがなかった頃で、狭いイタリアの道をウロウロしている内に、 道に迷い、案内を請うた若いイタリア人カップルが、10分近くかけて彼等の車で見通しの立つところまで先導してくれました。 旅先で受ける親切は身に沁みます。

世界の行く先々で、似たような親切を受けてきました。今まで厭な思いをしたことは一度もありません。 人情は世界共通。 このような時や、レストラン等で現地の人とふと知り合った時、紙で折った日本人形や武者絵の飾りの付いた絵葉書を差し上げるようにしています。ほとんどの旅に同行してきた妻の発案です。その説明が糸口となって話が盛り上がることもあります。

さて、車一台がやっと通れる狭い山道をゆっくりと登って、木々と草むらに囲まれた丘の上のサンタンドレア教会に辿り着く。 人家も辺りには見えない。小さな村の小さな教会。素朴なロマネスク様式の石積みの教会で、三階層の石積みの鐘楼が付いている。 いかにも古びた教会。中に入ると小さいながらも三廊式になっている。

右手奥の壁龕に目当てのフレスコ画がある。「聖女バルバラと二聖人」。1471年作。今に残るギルランダイオ最初の作品です。中心に聖女バルバラ、左に聖ヒエロニムス、右に隠修士の聖アントニウスが配されている。500余年の年を経て、ところどころ掠れている所もあるが、修復されて色鮮やかで、線や形状はしっかりしている。高さ215cm、横510cmの大作です。 ギルランダイオ21歳。初の大仕事に張り切って、人里離れた小さな教会に寝泊りしながら描いたのでしょう。 その若き情熱と自己実現の喜びが、画にほとばしっている。初々しい絵です。 500年の時は消え去り、若き日のギルランダイオと対峙しているような気になりました。

よい本を読むと、未知の人生の疑似体験や、遠い日の記憶が呼び覚まされたり、 日常の生活から抜け出す一時の楽しみを与えてくれたりします。 よい絵を観ることが似たような効果を生むことを、初めて強く感じました。 これまで体験したことのない、時間と空間を超越した不思議な気持ちを味わいながら、同行した妻以外は誰もいない教会で、 どれほどギルランダイオと向き合っていたことか。

ギルランダイオに魅かれた後はジョット、シモーネ・マルティーニ、マザッチョ、リッピ親子、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、カルロ・クリヴェッリ、ジョヴァンニ・ベッリーニ、マンテーニャ、フランチャ、チーマ・ダ・コネリアーノ、ソドマ、マビューズ、ロレンツォ・ロット、アンドレア・デル・サルト、ドメニコ・ベッカフーミ、コッレッジョ等、次々と好きな画家が増えていきます。 個性がないなどとはとんでもない。 何れも一目でそれと判る、個性的で魅力的な描き手ばかりです。食わず嫌いというか、それまできちんと向き合っていなかっただけなのでした。

こうなるとまだ見ぬ名画、知らざる画家を求めて美術館や名画のある教会巡りに拍車がかかることになりました。

注釈:

聖女バルバラ:3世紀頃にいたとされる伝説上の聖女。

富豪の娘として生まれ、父から熱愛されて育つ。父は言いよる男どもを避け、娘を高い塔に監禁。しかし、娘は父の不在中に秘かに洗礼を受け、塔の窓を3つに変更。これはキリスト教義の三位一体を示す。 異教徒の父は怒って翻意させようとするが娘の意志は固い。ついには剣で切り殺してしまう。この直後父は雷に打たれて死んでしまったという。この絵ではバルバラは死亡した異教徒の父の上に3つの窓のある塔を抱いて立っている。

聖ヒエロニムス:宗教絵画に最も多く取り上げられる聖人。

歴史上の人物。347年-420年。語学に秀で、それまでヘブライ語で書かれていた旧約聖書とギリシャ語の新約聖書を初めてローマの一般市民が読めるラテン語に翻訳した。砂漠で隠遁生活をし、棘の刺さったライオンを助けた事から、ライオンと共に描かれる事が多い。

聖アントニウス:修道院を始めたとされる聖人。

歴史上の人物。251年-356年。 全財産を貧民に分け与え、砂漠で瞑想と苦行の隠修士生活を送った。この時悪魔の誘惑により様々な幻想を見たという。

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