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美術館訪問記 No.1 カルースト・グルベンキアン美術館

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

カルースト・グルベンキアン美術館正面

ドメニコ・ギルランダイオ作
「若い女性の肖像」

アントニオ・デル・ポッライオーロ作
「若い女性の肖像」
ベルリン絵画館蔵 1465年頃

レオナルド・ダ・ヴィンチ作
「モナ・リザ」
ルーヴル美術館蔵

先日の定例碁会の打ち上げで少しはアウトプットするように迫られました。 日本では古の昔から人の嗜みは琴棋書画と言われてきましたが、「棋」が趣味の皆さんに、残りの中の一つ、「画」についてお話するのも一興かと、筆を執る事にしました。

私は美術館巡りが好きで、これまで世界40カ国、1600以上の美術館や美術品のある教会、邸宅を、大半は愚妻と共に廻ってきました。 私の備忘録も兼ね、皆さんの参考になればと、毎週1回、思いつくままに、訪問した美術館、教会、寺院、博物館等を1つずつ取り上げて、簡単な説明と印象を書いていきたいと思います。

1600全てを網羅するには30年以上かかりますが、その間にも新しい美術館訪問が加わるので、今年66歳になる私の命が続く限りのこととなるかもしれません。 1人でも興味を持って読んでいただければ幸いです。

最初のうちは、絵画鑑賞の魅力の一端を理解していただくために、やや話が長くなるかもしれません。 というのも、ある館山囲碁合宿に向かう途中の車内での雑談で、絵の話をしていた時、「レオナルド・ダ・ヴィンチとゴッホはどちらが先に生まれたのですか?」と質問され、唖然としたことがありました。

碁で言えば、第一世本因坊算砂(1559年生まれ)と第25世本因坊趙治勲(1956年生まれ)のどちらが先に生まれたのかと聞くようなものです。 興味のない分野の知識は誰でも同じようなものかもしれません。

なるべく判り易く書こうとは思いますし、新登場の画家については、その回か次回で説明を加えたいとは思っていますが、全てをカバーすることは難しく、外国語の本を読む時のように、判らない単語や熟語は読み飛ばしても、読み進むにつれ概要は判って来るつもりでお読みください。どの画家もいずれは触れることになります。

私は子供のころから本を読むのは好きでしたが、絵画は美術の教科書で見る程度でした。そんな私の初めての記憶に残る美術館訪問は、丁度40年前の新婚旅行のハワイで、暇潰しに入ったホノルル美術館でした。 モディリアーニの裸婦とゴッホの麦畑の絵が、暗い色調の絵が多い中で、軽やかで明るく、ハワイの陽光と連れ立って印象に残りました。

教科書で見ていた絵と実物は、まるで違うと思いました。まず大きさ、次に色合い、タッチ、絵具の盛り上がり具合。それらのもたらす迫力・勢い・力強さ・繊細さ。光の当たり具合による色調の変化、額縁と絵の相乗効果、絵の置かれた空間と光の効果。 何よりも絵が発する画家の想い、感情、精神性。実際に作品を目の前にする感動は、本や複製品では求め難い。いかに現代の印刷技術が優れていても、実物とは別物です。

それからは新聞の日曜日特集の絵画のページや、高階英爾著の岩波新書「名画を見る眼」 全2巻を読んだりするようになりました。 朝日文庫の「朝日新聞日曜版:世界名画の旅」全7巻は、文庫にもかかわらず紙質が良い。カラーの絵や世界各地の風景写真が綺麗で、紀行文としても面白く、文もよく練れている。発売を待ちながら楽しみつつ読みました。このシリーズで初めて知った美術館も多い。

この頃、仕事の都合でアメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアに行くことが重なり、一通りの観光をすませると、美術館に行くことが多くなってきました。当時、興味の対象は教科書にのっているような、有名画家の絵が中心で、レンブラントやコロー、セザンヌ、マネ、ゴーギャン、ゴッホ、マティス等。

中世からルネサンス期の宗教画は、ボッティチェッリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ等の誰でも知っているような絵以外は個性が感じられず、どれも大差が無いように見え、駆け足で通り過ぎていました。今考えるともったいないことをしていたものです。

転機はポルトガルのリスボンにある「カルースト・グルベンキアン美術館」を訪れた時にやってきました。 欧米では大富豪になると美術品を収集する人が多い。グルベンキアンは「ミスター5%」と呼ばれ、イラク油田の収益の5%を手にした石油王。その財にあかして収集した美術品は、古代エジプトの発掘品から、世界中から集めた絵画・彫刻・装飾品・家具まで幅広い。 なかでも個人的に50年の知己であったルネ・ラリックのジュエリー・コレクションは世界一。死後、彼の収集した美術品はポルトガル政府に寄贈されました。

美術館にはウェイデン、ルーベンス、レンブラント、ターナー、コロー、ミレー、マネ、ドガ、モネ、ルノワール等の名画が年代順に並んでいます。この美術館を初めて訪れた時、小品ながら、一際鮮やかな絵が眼に飛び込んできました。 白い肌の若い女性の半身像です。珊瑚らしいビー玉位の大きさの珠を隙間なく繋げた赤いネックレスが光り輝いている。

修復されたのでしょう、その部分はつい今しがた描き終えたかのような瑞々しさがある。胸元を長方形に開けた胴衣はややくすんだ赤色をしているが、これも鮮やかな輝きで、緻密に織られた、貴人にふさわしい布のように見える。 広く開いた胸元は薄い半透明な白い布で首から下をV字に空けて覆われている。そのV字の尖った所に、ネックレスよりやや小さめな同色の珊瑚球が一つ胸元を引き締めている。

かのモナ・リザのように4分の3の斜めを向いた半身像ですが、顔は右前方を見つめて視線はこちらを向いてはいない。 小ぶりな唇を引き締めて何かを注視している。カールしたやや茶色がかった金髪をしている。こういう細部は後から認識したことで、私を驚かせたのは、現代人と言ってもよいような、生き生きとした生身の人間を思わせる表情でした。溌剌として生気があり、凍結したような同年代の宗教画とはまるで異なる、現実感に溢れた、今にも話し出しそうな、生きた女性がそこにいる。

描かれた年代は1480-1490年頃。日本でいえば、応仁の乱が終結し、戦国時代が幕を開けた頃合い。その時代にこのように写実的で、魅力ある女性像が描かれていたとは。 僅かこの絵1枚が、中世の暗い抑圧的なイメージを払拭して、モデルの女性の生活、感情、環境、はたまた描いた画家へと興味を広げてくれました。

これ以降、それまで素通りしていた15世紀以前の絵画も熱心に観るようになったのです。この作者がドメニコ・ギルランダイオでした。 彼は、かのミケランジェロが最初に師事した大家で、イタリア、フィレンツェに大工房を構え、精力的に仕事をこなしていました。 本名はドメニコ・ビゴルディ。

イタリアのルネサンス期の画家は、通称で呼ばれる者が多く、この画家もその一人で、ドメニコ・ギルランダイオとは、花飾りのドメニコの意です。彫金家であった父親が、当時フィレンツェの若い女性の間に流行していた花の髪飾りを作ることに長けていたため、この名がついたといいます。

1480-90年というと、モナ・リザの描かれたという1503年より、少し早い。イタリアでは、モナ・リザ以前の肖像画は、神や聖人を除く一般人の場合、全てプロファイルという完全な真横向きスタイルで、観る者と視線を合わせないようになっていました。 モナ・リザは一般人にもかかわらず、4分の3に体を捻り、顔と眼はこちらを向いている。これは不世出の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチが成し得た改革でした。

ギルランダイオのこの肖像画は、体は正面を向いているが、顔と眼は4分の3の方向に向き、観る者の方を見ていない。中世の神の呪縛から解放される一歩前の状態と言えるかもしれません。

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