2018年春季囲碁合宿・湯河原ホテル色彩

●2018年春季囲碁合宿@湯河原「ホテル四季彩」◯

2018/05/27

恒例の春季囲碁合宿が、5月25日から2泊3日で昨年と同じ湯河原「ホテル四季彩」で開催された。

日本棋院から光永淳造六段をお招きして、3クラスに分け各クラス総当たりと光永先生の指導碁とクラス横断戦を2局の合計11局行う。 初日午後3時半頃から対局開始。いきなり5連敗のスタートとなった。合宿はいつも初日の勝率がかなり悪く、昨年も4連敗のスタートであった。 疲れて朦朧となったが気を取り直して光永六段の指導碁をお願いした。素直に打ってなんとか勝って初日は1勝5敗で終わった。

中日は光永六段の棋譜解説のあと、テニス組と近くの名所へのハイキング組に別れて体を動かす。 今回のハイキングは小田原の石垣山一夜城。昔小田原厚木道路から西湘バイパスに直結する自動車道が出来る前、一般道を通った際小田原の早川口あたりで石垣山一夜城入口の標識をよく見かけたが、行ったことはなかった。この日戦国時代を偲びながら登ってみると思ったより立派な城跡で、秀吉と同じ気分で本丸跡から小田原城を見下ろす景色もなかなか。

宿に戻ってからゆっくり打つことを心掛け4勝1敗、全体で5勝6敗と昨年と同じ結果となったが、先月昇段しハンディがきつくなったとして何とか納得。表彰式で他の人に拍手を送って閉会となった。


棋譜解説会(YouTube)

開会式

光永六段の指導碁

ハイキングは小田原の石垣山一夜城。前夜は深夜に寝たので身体が重い

(*ネットから)

ニワゼキショウ

二の丸跡

本丸跡

本丸跡から小田原城を見下ろす

史跡 石垣山 小田原合戦と一夜城伝説 Odawara Campaign and Legend of Ichiyajo

小田原北条氏を攻めることを決意した関白豊臣秀吉は、天正18年(1590)3月1日に京都を発し、4月3・4日には小田原城の攻囲を開始しました。そして、4月6日には早雲寺(箱根町)を本陣とし、その日のうちに笠懸山(石垣山)に登って小田原城を眺望しました。周囲9kmにわたり、壮大な堀と土塁で周囲を囲んだ小田原城を力攻めにするのは難しいと判断した秀吉は、長期戦の構えでこの場所に城を築城することを決めました。

普請は急ピッチで進み、秀吉は5月14日には石垣ができあがって広間・天守などの作事に差し掛かる段階にあったことを、妻の北政所(ねね)に手紙で知らせています。6月9・10日には奥州の雄、伊達政宗が普請中の石垣山で秀吉に伺候します。その時政宗は、前日には無かった白壁を「紙を貼ったもの」と見破り、秀吉を初めとする諸将に賞賛されています(「木村宇右衛門覚書」)。

そして6月26日、秀吉は石垣山に本陣を移しました。これを期に、秀吉は小田原城へと一斉に鉄砲を撃ちかけさせ、小田原北条氏方を脅かしました。このような秀吉の行動や政宗と白壁の逸話が、「小田原城を遮る大樹を悉く斬る。小田原城中より是を見て、笠懸山に附城一夜に成就せるに驚く」(「大三川志」)や「面向きの松の枝ども切りすかしければ、小田原勢肝をつぶし、こはかの関白は天狗か神か、かやうに一夜の中に見事なる館出来けるぞや」(「北条記」)との、後の一夜城伝説を生んだのです。 一夜城伝説の真意はともかく、人員を大量動員した築城を可能とする秀吉の権威と財力が、小田原北条氏が降伏する決定打となったのです。(*Google OCR)

2日目の夕食

Aクラス優勝 山内さん

Bクラス優勝 長井さん

Cクラス優勝 佐藤さん



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