2001: A Space Odyssey

2045年問題・コンピュータが人類を超える日

2014/09/10

今回は特に囲碁だけのトピックではないが、コンピュータが人類を超えるかという話題。
 すでに様々な分野でコンピュータは人間を超えており、機械的な分野のみならず思考的にも、例えばゲームとしてのチェスではすでに人間は勝てなく、将棋もプロ棋士と肩を並べ、囲碁はアマチュア高段者クラスとなった。
 囲碁も今後新しいアルゴリズムが開発され、学習機能を備えた時、格段に強くなる。ムーアの法則で回路の集積度が増し、それにより処理速度が向上したコンピュータ同士を対局させた場合、瞬時に勝負が付きこれまで全人類が経験した対局数をまたたく間に追い越し、学習し強くなっていくと思う。

ということで書店で目についた「2045年問題・コンピュータが人類を超える日」という本の紹介。
あまり詳しく紹介すると著作権を侵害するかと思うので派生的な話題も含めての紹介とする。

書店で、この本のタイトルを見て直ぐに連想したのは、私が現役時代の「コンピュータの2000年問題」。

昔のコンピュータのメモリーや磁気デスクなどの記憶装置は高価であったため、システムを設計する際、如何に記憶装置の容量を少なく使うかがエンジニアの腕のみせどころであった。
 あるデータの有効期限の日付を99/365 と書けば99年365日ということで、永久的という意味であった。2099/365とか9999/365すればよいが、2桁多くなり1万件のデータがあるとすれば2万文字の容量が必要になる。
 盛んにコンピュータのプログラミングがおこなわれていた1970年代から1980年代には、1999年365日以降は問題になるという意識はあったが、まだまだ先のことでそれまでそのプログラムが使われることはないだろうと思ったのである。ところが数十年経てもそのプログラムは動いており、担当者の世代も変わり該当プログラムの中身がどうなっているのか、使われているのか否かさえも明確ではなくなった。
 この機会をIT企業は、2000年になると突然データが無くなる、プログラムが異常終了するなどと、顧客の不安を煽り、新システムの提案などビジネスチャンスとしたのであった。対処が功を奏したこともあり、それほど大問題は起こらなかった。

脱線したがこの2045年問題とは、異常終了などのネガティブな出来事ではなくコンピュータの飛躍的な技術の発達が人類全体の能力をはるかに超え、人類のその後の進歩を予測出来なくなる時がくるというのである。アメリカの人工知能研究者レイ・カーツワイルが2045年を技術的特異点と唱えた。

HAL

人類とコンピュータとの関わり合いというと1968年に公開されたアメリカ映画「2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)」がある。当時大学生だったが、コンピュータに関する知識も乏しかったこともあり、この映画の意味がよく分からなかったが、リヒャルト・シュトラウスの交響詩《ツァラトゥストラはかく語りき》の導入部の音楽とともに斬新な近未来のSFとして強烈に印象に残った。
 HALと名付けられたコンピュータが木星探査という与えられたミッションのために人間が妨げとなり殺そうとする。赤いランプで象徴されたHALはじっと人間を監視し、会話を聞いている。
 HALは最初から知能をもっているのではなく、次第に学習して知的に成長していく。またしても余談であるが、当時のコンピュータ業界をリードし始めたのはIBMであり、HALはアルファベットでは、HとI、AとB、LとMはいずれも一つ前の3文字を集めたものと聞いたことがあった。

この「2045年問題」の本は、「2001年宇宙の旅 」「ターミネーター」「マトリックス」とSF映画の内容に触れ、いずれもコンピュータが意志を持ち人類と敵対する存在ととらえている。
 さすがにここまで行くかと疑問を持つが、とりあえずの問題としては、コンピュータが人類の代わりの役割をすることになると言う点。すでに産業用ロボットなどが人間に変わって仕事をしている。

コンピュータが人間と関わるためには、インターフェースの部分、すなわち目と耳と口で人間とコミュニケーションする能力が必要となる。
 身近な例として、iphoneなどに搭載されている音声認識機能Siri(Speech Interpretation and Recognition Interfaceの略で現在はApple社が保有するソフトウェア)を使ってみると、実際の会話が出来る。Siriはどこかにあるサーバーと通信をしていると思われ日々進歩している。これを発展させるとたとえば、コールセンター業務などもこなせるようになり、さらに弁護士、医療、教育の分野でも人間の補助的役割から、主体的役割をこなす。そうなると知的役割は人間が担うとはいえなくなり大量失業時代に突入する。既に2010年のアメリカの証券取引の70%はコンピュータ取引によって占められている。

では芸術はどうかというと既に音楽の演奏や作曲も人間には見分けがつかなくなるほど上質なものになっている。

人間として安泰な職業はトップレベルの仕事であるコンピュータ・プログラマーや企業のトップ・マネージメントと、ボトムの家庭の掃除や家事、マッサージ師などでロボットにも出来るがロボットにはやって欲しくないと思われる仕事である。その結果貧富の差がますます拡大する。

今後の格差社会で落ちこぼれないためには、 コンピュータを使いこなす技能は、徹底的に身につけるべきで、コンピュータを使いこなせるか否かによる格差を意味する「デジタル・ディバイド」(情報格差)という言葉があり収集出来る情報の質と量が異なってくる。
 また英語圏以外では世界共通碁の英語が出来るか出来ないかにより10倍情報が違う、
 と述べている。