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皇居乾通り・東御苑の紅葉

2017/12/06

師走に入り季節らしい気温の低いが続く。この日真っ青な快晴となった。今年の紅葉も先日の薬師池公園で撮り納めと思っていたが、皇居の乾通りの紅葉を想い出した。 2年前にカメラ持参で皇居前までいったが余りの人の多さに帰ってきたことがあった。何しろ内堀通りから皇居側に渡れなかった。

この日は朝かなり気温が低かった。紅葉の盛りは過ぎた。今年の秋の公開は12月2日から10日までとこれまでの5日間より9日間と長くなった。とのことでそれほどの混雑はないと考えた。

地下鉄千代田線の二重橋前で降り6番出口から地上に出て、そのまま人の流れで内堀通りを横断し順調に坂下門に至った。途中持ち物検査があった。

坂下門から乾通りを通り西桔橋(にしはね ばし)を渡って皇居東御苑へ。乾通りの紅葉は終わったように思うが皇居東御苑はまだ紅葉が見ごろであった。天守台に登り、松の廊下跡から富士見多聞の中を見学。大手門を出て地下鉄大手町から帰った。

東京の中心皇居の紅葉もまた自然の野山でみるものとは違った趣があり、石垣や濠と歴史を感じさせる太い松ともよく調和している。江戸時代のこれまで知っている歴史の出来事も案内パネルを読みながら思い出してみる。

江戸城の天守閣があった天守台に登った。
 "江戸初期には権力の象徴として天守を建て直していた。現在の天守台の場所には3代将軍家光の時代、寛永15年(1638)に天守閣が建てられた。明暦3年(1657)の火災で焼け落ち、翌年に加賀藩前田家の普請により高さ18mの花崗岩でできた天守台が築かれた。これが現在残る天守台。四代将軍綱吉の叔父である保科正之の戦国の世の象徴である天守閣は時代遅れであり、城下の復興を優先すべきであるとの提言により、以後天守閣は再建されることは無かった。江戸城の天守閣は、江戸初期の50年間だけ存在した。以後諸藩も幕府に遠慮して、天守ではなく御三階櫓・御三層櫓などと称していたものが数多くあったといわれている。"  なんとか櫓などと言われているものが、立派につくられているのか不思議だったが、納得。

皇居マップ。赤太線が今回のルート

中央に二重橋

坂下門・蛤濠

坂下門

宮内庁舎

富士見櫓

山下通り

フユザクラ

局門

富士見多聞。多聞とは,城郭の石垣上に建てられた長屋で,城壁よりも強固な防御施設

道灌堀

蓮池濠

乾濠

天守台の石垣

天守台から武道館の屋根が見える

天守台から本丸跡(左)

天守台

キッコウチク

スホウチク

富士見多聞内部より乾通り

クロガネモチ

同心番所

中之門跡。平成17年(2005)から平成19年(2007)まで20ヶ月かけて解体・修復工事が行われた。

桔梗濠

大手濠



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