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皇居界隈

2019/11/20

用事のついでに皇居界隈の紅葉の様子を見ながら散策。日比谷通りの濠端にアラブ系と思しき20人程の外国人グループが濠の中の鯉を指さしていた。国によっては鯉も珍しいようだ。

皇居界隈は、日比谷通りに面した現代的な高層ビルと濠を挟んで江戸時代の老松と石垣の対比があって面白い風景を醸し出しておりこれまでに何度も散策している。

この日東京地方は木枯らし1号かとのニュースが流れるほど気温が下がり風が吹いたが、青空の見える天気で、イチョウの黄色が日光に映えていた。

翌日の21日から東御苑で「大嘗宮一般参観」があり、「皇居乾通り一般公開」は11月30日(土)から、どちらも12月8日(日)まで。平川門から皇居内に入れたが東御苑には上がれなかった。皇居内のモミジなどはまだ緑で紅葉は12月まで待たされるようだ。

皇居外苑といえば楠木正成像がよく知られているが、地下鉄東西線竹橋駅近く大手壕端の工事現場を囲んでいた鉄板の上から銅像が見えたので情報を集めてみた。

769年に起きた宇佐八幡神託事件(道鏡事件)の和気清麻呂(733~799)の像である。

称徳天皇(史上6人目の女帝*)は生涯独身で、重用した道鏡を天皇に着けるよう神託があったとされ、和気清麻呂を宇佐八幡宮(大分県宇佐市 八幡宮総本山)へ赴き神託を確認するように命じた。妨害・拒否などにもかかわらず、「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ。無道の人は宜しく早く掃い除くべし」との神託を伝えたが、期待に反した報告に天皇の怒りを買い、左遷・流罪された。

*称徳天皇 : 聖武天皇の娘。孝謙天皇として749年~758年。称徳天皇として764年~770年。

称徳天皇没後に道鏡は失脚。後に和気清麻呂は政界復帰し政治の舞台でも活躍し天皇家のために尽くした。

皇統の断絶という日本最大の危機を救った人物と評された。この事件については様々な異説もあるようだ。


和気清麻呂像

平川橋が見える

平川門

和田倉噴水公園

パレスホテル・日本生命丸の内ガーデンタワー。和田倉橋

行幸通り。正面が東京駅

日比谷通り

日比谷通り歩道





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