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鎌倉井戸と鎌倉古道

2017/09/30

先日七国山(128.5m)までウォーキングしたことで、鎌倉古道について興味を持ち、この日は鎌倉井戸を目標に足を延ばした。

町田市指定史跡に指定されている錄倉井戶は、鎌倉時代に掘られたものと言われ、新田義貞が鎌倉攻めの軍を進める途中、ここに井戸を掘り、水を軍馬に与えたと語り伝えられている。
 井戸の深さは約4メートルあり、表土の部分は永い年月の間に崩れ落ちているが、地表から 約1.5メートル下のローム層の部分には、下方に直径約70センチメートル程の円筒形の井戸が原型のまま保存されている。 この層から、汗の様に渗み出た水が溜るものと考えられている。(昭和五十四年九月七日指定町田市教育委員会)

以下、再掲載:
 鶴見川に架かる丸山橋を渡り町田ぼたん園近くを通る七国山への道には、鎌倉時代頃に鎌倉と上州方面を結んだ鎌倉上道の古道跡が現在も残っている。

七国山にある、鎌倉井戸とともに、七国山は鎌倉古道沿いの地名としてよく名前が出てくる。
 * 古道としての鎌倉街道は、鎌倉時代に鎌倉から各地へ向かう関東の幹線路であった。上道(上州(群馬県)へ)、中道(下野国(栃木県)へ)、下道(東京湾沿いから房総方面へ)が知られており、鎌倉街道上道は鎌倉から上州へ向かう西側の道であった。鎌倉を出た後、境川沿いを北上し多摩丘陵を越え武蔵国府(府中)に至り、その後武蔵野台地から比企丘陵をぬけ、群馬県の藤岡に入り高崎に出る。上野国(こうずけのくに・群馬県)の新田義貞が鎌倉に攻め入った道として知られている。

鎌倉街道上道(多摩地区) (出典 :鎌倉街道上道埼玉編)

七国山ファーマーズセンター前から七国山をさらに登りきって、下りになる坂道で鎌倉古道に交わる。鎌倉街道上道は鎌倉から高崎までの道として伝えられ、古道と呼ばれる道は現在、多くが開発により失われているが、町田市では緑地保全地域として守られている。

鎌倉井戸

現在は埋まっているが1.5メートル下には円筒形の井戸が原型のまま保存されている、という

鎌倉井戸

鎌倉街道の碑

鎌倉古道・鎌倉井戸から北の鶴見川方向に下る(写真では登りにも見えるが下り道)

緑地保全地域として開発が制限されている

アケビを見つけた

アケビ

鶴見川に架かる丸山橋を鎌倉古道は通った



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