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美術館訪問記-91 ストックホルム国立美術館

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ストックホルム国立美術館外観

添付2:ストックホルム国立美術館内部、正面がカール・ラーションの壁画

添付3:カール・ラーション作
「台所」

添付4:カール・ラーション作
「釣りをする次女リスベス」

添付5:ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作
「枢機卿帽のある聖ヒエロニムス」

添付6:レンブラント作
「自画像」

添付7:ルノワール作
「水浴する女達」

スウェーデンの首都ストックホルムに「ストックホルム国立美術館」があります。

ストックホルムは北欧のヴェネツィアとも呼ばれ、水路が張り巡らされています。 この国立美術館も運河に面して建ち、建物もイタリア・ルネサンス風です。 1866年の完成。

入って階段を上がった正面壁の上部に、カール・ラーションの大きな壁画 「グスタヴ・ヴァーサのストックホルム入城」があります。

14世紀以来デンマークの支配下にあったスウェーデンを開放したのが 1523年王位に就いたグスタヴ・ヴァーサで、 グスタヴ1世として入城する様子を描いたものです。

グスタヴ1世を始めとして、スウェーデン歴代王家は美術品の収集に熱心で、 17世紀にはデンマークやドイツに侵攻し、 美術品を戦利品として持ち帰ったりもしています。

また18世紀には、駐仏大使で当時最高の知識人の一人だった カール・グスタフ・テッシン伯爵が、フランス絵画を積極的に購入し、 それらは彼の死後スウェーデン王家が購入する事になりました。

こうして出来上がった膨大なコレクションを1794年王立美術館として 公開したのが当美術館で、現在の建物の完成時に国立美術館と改名しました。

前回も名前の出たカール・ラーション(1853-1919)は、救貧学校に通う貧しい 家庭に育ちましたが、子供の頃から画才を認められ、王立美術学校卒業後、 パリへ出て、黒田清輝も暮らした芸術家村、グレ=シュル=ロワンで 日本美術の影響を強く受けた水彩画を描くようになり、 これが人気を博しスウェーデンの国民的画家となっていきます。

特に1899年に出版された彼の水彩画集「私の家」は、愛妻と3男4女の家庭の 日常生活の四季を愛情深く描いたもので大ヒットになりました。 スウェーデンの小さな村スンドボーンにある彼等の家は、 今では「カール・ラーション記念館」として観光名所になっています。

家の中にはラーションの集めた日本の浮世絵、屏風、陶磁器、日本人形等で 溢れており、彼は「日本は芸術家としての私の故郷である。」と 自らの著作の中に記しています。

国立美術館の方は、歴代の王族が集めたコレクションが素晴しく、 ベッリーニ、ブロンズィーノ、ティエポロ、クラナッハ、レンブラント、 ルーベンス、ドラクロア、クールベ、マネ、ドガ、モネ、ルノワール、ボナール、 ゴーギャン、ゴッホと枚挙に暇がありません。

ここの白眉は北欧ではこの美術館だけにしかない、 ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「枢機卿帽のある聖ヒエロニムス」でしょう。 ラ・トゥールについては第20回、21回で詳述しています。

ところで第12回でフェルメール作品の盗難の話をしましたが、 2000年に、この美術館からレンブラント1点とルノワール2点が盗まれました。

その前年にスカンジナヴィア4ヶ国を廻ったばかりだったので、まだ記憶も新しく、 妻と10年前のボストンでの出来事を思い出し、因縁じみたものを感じたものです。 幸い、こちらの方は2005年までに全て回収されました。

美術館訪問記 No.92 はこちら

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