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美術館訪問記 ー704 クリスチャン・シャド美術館、Aschaffenburg

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:クリスチャン・シャド美術館正面

添付2:クリスチャン・シャド美術館中庭

添付3:クリスチャン・シャド美術館入口前パネル

添付4:クリスチャン・シャド美術館内部

添付10:アシャッフェンブルクの街角

オランダを終えて、ドイツの都市名ABC順に切り替えましょう。

第508回で触れた「クリスチャン・シャド美術館」が2022年6月4日に開館し、 その年の9月に初訪館して来たので、まずそれからカバーしましょう。

クリスチャン・シャドについては第508回の説明を再掲します。

シャドは1894年、裕福な弁護士の家に生まれ、ミュンヘンの美術学校で学びます。 1915年、第一次大戦中の兵役を避けてスイスに逃れ、 当時スイスで最盛期だったダダイスムの渦中に入ります。

ダダイスムは、1910年代半ばに起こった芸術思想・芸術運動のことで、 第一次世界大戦に対する抵抗やそれによってもたらされた虚無を根底に持っており、 既成の秩序や常識に対する、否定、攻撃、破壊といった思想を特徴としています。

ダダイズム、ダダ主義あるいは単にダダとも呼ばれ、 1924年のシュルレアリスム宣言により、終焉に向かいます。

1918年、シャドはシャドグラフ、後にフォトグラムと一般的に呼ばれる写真手法を 開発します。フォトグラムとは、カメラを用いずに、印画紙の上に直接物を置いて 感光させるなどの方法により制作された写真作品で現在まで続いています。

彼は1920年にはナポリへ行き1925年まで滞在。結婚して美術学校へ通います。 その後ベルリンに落ち着き、妻とは死別。 1943年、彼のスタディオが爆撃を受け、アシャッフェンブルクに引っ越すのです。

シャドは何故か、ナチスによって酷い迫害を受けた、いわゆる退廃芸術家とは 見做されず、むしろナチスの推奨した大ドイツ芸術展に出品されています。 当時彼が比較的無名で、一見古典的にも見える画風を誤解されたのでしょう。

その画風はイタリア時代にラファエロに感化されたことが大きいでしょうが、 1927年からのベルリン時代は新即物主義の重要作品を生み出しています。 彼の作品は皮膚を切り裂くような鋭さを秘めているとも評されました。

新即物主義とは、1925年から1930年代初頭にかけてのドイツでの美術運動で、 それまでの主観的ともいえる表現主義に反対して、克明な形態描写と社会批判的な 冷笑主義を特徴とするレアリスム絵画の総称です。

その過酷なまでの人物描写は魔術的レアリスムという言葉を生み出しました。 ナチスの台頭とともに退廃芸術として迫害を受け収束します。

シャドは1942年ベッティーナという21歳の若い女優と出会い、恋に落ち、 1947年アシャッフェンブルクで再婚します。

シャドは1982年、死亡。残されたベッティーナは夫の芸術的遺産を整理し、 必要があれば買い戻し、シャドの全作品の系統的科学的分析に身を捧げます。

彼女は2002年の死に際し、収集したシャドの全3200作品と遺産を アシャッフェンブルク市へ寄贈。それらを基に20年後に当美術館が開館したのです。

クリスチャン・シャド美術館は街の中心部、 第508回の州立アシャッフェンブルク絵画館と第509回のシュティフト教会とを 結ぶ小路の中間辺りにありました。1612年建設のイエズス大学の流用ということで 開館したばかりの美術館とは思えない、歴史を感じさせる門構えです。

中庭にはローマ時代の石膏像が4点、何やら物思う風情で並んでいました。

入口前には展示中のシャドの代表作が纏められてパネル仕立てで置かれていました。

美術館は4階建てで、88年のシャドの全生涯に渡る変遷を一望できる夥しい作品と 写真、詳細な説明文で満ち溢れていました。シャド好きには1日でも足らない位。

第508回で使用した以外のシャドの作品を年代順に観てみましょう。

「フォーレンダムの漁師」はシャドが美術学校を退学して、 父親からオランダの芸術家村、フォーレンダムに遣らされていた頃の作品。

「ヨゼフ・ペンバウアー」はシャドがイタリアから一時ミュンヘンに戻り、 ミュンヘンの上流階級の好みに合わせた肖像画を描いていた頃の作品で モデルはオーストリア人でミュンヘンで活躍したピアニストです。

「カフェ・サンジャック」は妻との口論に嫌気がさしたシャドが愛人のマイカと パリに半年ほど逃避行をしていた時の風景画。水彩画です。

「モリーノ・フォン・クルック」は女優の頭部肖像画ですが、Die Dameという ドイツ初のイラスト入りの近代女性向け雑誌の表紙に使用されたものです。

シャドの女性肖像画は数多く雑誌の表紙に使われており、 美術館内にもそれらの雑誌が並べられていました。

「身の回りの物」はアシャッフェンブルクのシャドのスタディオ内の置物や 窓外の情景を種々組み合わせて描いた自画像です。

美術館を出て100mも行かない街角に見事な壁画がありました。



(添付5:クリスチャン・シャド作「フォーレンダムの漁師」1914年、添付6:クリスチャン・シャド作「ヨゼフ・ペンバウアー」1922年、添付7:クリスチャン・シャド作「カフェ・サンジャック」1929年、添付8:クリスチャン・シャド作「モリーノ・フォン・クルック」1930年 および添付9:クリスチャン・シャド作「身の回りの物」1967年は著作権上の理由により割愛しました。
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