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美術館訪問記-63 スクロヴェーニ礼拝堂

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

添付1:スクロヴェーニ礼拝堂外観

添付2:スクロヴェーニ礼拝堂内部

添付3:ジョット作
「金門の出会い」

添付4:ジョット作
「マリアの結婚」

添付5:ジョット作
「キリストの死」

添付6:ジョット作
「最後の審判」

マンテーニャが学び、当時イタリア絵画の一大拠点だったパドヴァには、 世界の至宝と言うべき場所があります。

それは「スクロヴェーニ礼拝堂」。

ここは世界中にあまたある礼拝堂でも特別な所。というのも、

1.入場には事前予約が必要。尤も当日でも空きがあれば入場可。
2.礼拝堂への入場は15分間しか許されない。次のグループが入ってきて
 強制的に追い出される。
3.前のグループが見学している15分間、礼拝堂の温度・湿度を変化させ
 ない為、礼拝堂と同一に温度・湿度を保たれた待合室に入れられる。
 この間、スクロヴェーニ礼拝堂のいわれを説明するビデオを見て過す。
 説明はイタリア語だが、英語の字幕つき。
4.世界で唯一、正真正銘ジョット・ディ・ボンドーネ(1267-1337)のフ
 レスコ画で壁は勿論、天井も覆い尽くされている。

ジョットの作品については真偽が定かでないものが多く、 これまで彼の作とされていたアッシジの聖フランシスコ聖堂の壁画も、 今では疑問視されている程。

このスクロヴェーニ礼拝堂は、金貸しで財をなした エンリコ・スクロヴェーニが近くにあった自身の教区教会とは別に、 当時は罪悪と考えられていた金貸し業の贖罪のため、 自宅の敷地内に一族の礼拝所兼墓所として建てたものでした。

職業柄、記録がしっかり残されており、 ここのフレスコ画だけはジョット自身が手掛けた事が証明されています。

ジョットは「西洋絵画の父」と呼ばれます。それは、それまで長い間 東方ビザンティン美術様式に支配されていたイタリア絵画を革新し、 様式的で平面的にしか描かれなかった絵画に、 感情表現を盛り込んだ写実的で3次元的な表現を初めて取り入れたからで、 その量感溢れる人物描写と劇的表現を伴う臨場感は、 100年以上後でマザッチョに始まるルネサンス絵画を先導することになります。

誰しもがそのジョットの最高傑作と認める、 ここにある一連のフレスコ画が素晴しい。

ジョットの円熟期にあたる1304年から3年がかりで完成されました。

彼はブオン(真正なる)・フレスコと呼ばれる技法で描いたので、 絵具が壁面と一体化して、700年以上経った今でも、 その色彩は目を見張るほど美しい。

天井は澄んだ青色に塗られ、規則的に星を示すような黄色が配され、 所々に円形のキリスト像が置かれています。 左右の壁と入口側の壁は4段に仕切られ、最下段には右側に7つの美徳、 左側に7つの悪徳の寓意像が描かれています。

その上には、キリストとマリアの生涯が別々に合計37面に渡って描かれています。 最上段右には聖母マリアの両親ヨアキムとアンナのエピソード6話が描かれ、 左と入口側には聖母マリアにまつわるエピソード7話が描かれ、 全体で聖母マリアの生涯を表現した最初の絵画になっています。

中の二段にはキリストの生涯が24のエピソードで描かれています。 それらに加え、『最後の審判』が正面反対側の壁全面に描かれています。

これらの絵画を見つめていると自ら心が静まり、 浄化されているような気がしてきます。

金門の出会い:長い間子供を授かることがなかったエルサレムの老夫婦、 ヨアキムとアンナの切なる願いを受け入れた父なる神の命により大天使ガブリエル が自宅で祈る妻アンナの下を訪れへ子供(後の聖母マリア)を懐胎することを告げ、 また羊飼いと居たヨアキムもその夢を見て急ぎエルサレムへと帰還し、 同地の市門のひとつ「黄金門」で両者が抱擁・接吻し合う場面。 聖母マリアもキリストと同じく情交なしに生まれたとする「無原罪の御宿り」を表し、 アンナはこの接吻と同時に妊娠したとされる。絵画の題材となる事が多い。 金門は聖母マリアの処女性のシンボルである「閉じられた門」の例えで、 夫婦は門の外で抱擁しているように描き出される。 絵画によく採り上げられる「無原罪の御宿り」をキリストが情交なしに生まれたと 解釈している人が多いが、それは間違い。

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