東北地方で青森、秋田、岩手の3県に次いで北に位置するのが山形県。その県庁所在地で人口25万人足らずの山形市にあるのが「山形美術館」。
山形市の中心、お堀に囲まれた山形城址の東側にある、広い公園に面した三角形を伏せた珍しい形状の美術館。山形を洒落ているのでしょうか。
山形新聞グループが主体となり県も市も一緒に設立した、オール山形の美術館で、1964年の開館と日本では比較的早く設立されています。
フランス近代美術、日本および東洋の美術、郷土関係の美術という3つの柱を中心に作品の収集展示活動を行っているということです。
特に素晴らしいのは印象派以降のフランス近代絵画で知られる「吉野石膏コレクション」で、日本各地の美術館で何度も特別展に貸し出されて来ていますから、一部をご覧になった方も多いでしょう。
吉野石膏株式会社は、山形県の吉野鉱山で石膏原石の採掘を開始し、以来石膏ボードを中心とした建材の研究開発と製造販売にあたっています。社内の創造的環境づくりを目的に、1970年代から日本近代絵画、さらに80年代後半からフランス近代絵画の蒐集を本格的にスタートさせました。
1991年から創業の地、山形県にあるこの美術館にコレクションを寄託しています。
比較的遅れて収集を始めたにもかかわらず、その充実度には目を見張るものがあり、写実主義、バルビゾン派、印象派、ポスト印象派、キュビスム、抽象絵画、エコール・ド・パリの作家などによる国内有数の良質な作品群を誇っています。
数多くの作品の中から幾つか採り上げてみましょう。
まずマネの「イザベル・ルモニエ嬢の肖像」。ナポレオン3世に仕えた宝石商である父、そして成功したビジネスマンであり、パリ万博のスポンサーでもあった姉の夫シャルパンティエは、度々夜会を開催。
当時の芸術家や文化人と太いつながりを持っていた姉夫妻を通じ、イザベルも多くの芸術家と交流したようです。この夜会の常連の一人だったマネは、イザベルの美貌やエレガントな身のこなしに、たちまち惹きつけられ晩年の彼のミューズとなり、数作の作品を残したのでした。
モネの「サン=ジェルマンの森の中で」は、これぞ印象派というべき作品で、画面を明るくするために、色を混ぜず、原色を並べて置く筆触分割の手法で描かれた、紅葉によって朱色に染まる木々の葉や落葉と、まだ残る緑との補色対比が鮮やかです。
明るい道が、いったんほの暗くなって続き、ずっと奥で再び明るくなっているという構成が絶妙で、緑の洞窟を潜って後開ける世界を期待させるかのようです。
ルノワールの「シュザンヌ・アダン嬢の肖像」はこの画家には珍しいパステル画で、彼が印象派から古典主義的な手法に傾倒した時期の作品ですが、特有の透き通るように、そして流れるように絵を描くそのタッチで、当時10歳のシュザンヌの活き活きとした愛らしさを活写しています。
ゴッホの「雪原で薪を運ぶ人々」は彼が27歳で画家になることを目指し、オランダのハーグでレンブラント以来伝統的な茶系色主体のやや暗い画面の、農民画家ミレーに触発された労働の風景を描き続けていた頃の作品です。
ゴッホは1886年、パリに住んでいた弟の家に移り住み、当時の最先端だった印象派や新印象派の技法を吸収して一気に明るい画面へと変貌を遂げるのですが。
「日本および東洋の美術」に関しては江戸期の狩野派、文人画、円山四条派の日本絵画を中心とした「長谷川コレクション」があります。
山形美術館の開館後間もない1968 年、当時の山形銀行会長であった長谷川吉郎より、長谷川家歴代が収集した美術品が寄贈されたもので、重要文化財の与謝蕪村 の「奥の細道図屏風 」を含む多彩なコレクション。
「郷土関係の美術」では江戸生まれながら、53歳の時、山形県令であった三島通庸の招聘で山形に来て三島の行った数々の土木工事の記録画を描いている高橋由一の「鮭図」を添付しておきましょう。
他にも別館2階には山形市出身で近代彫刻の巨匠、新海竹太郎とその甥、新海竹蔵の彫刻作品多数も展示されていました。
ここも撮影禁止で展示室内の写真はインターネットからの借用です。