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美術館訪問記-58 聖アネン博物館

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

添付1:メムリンクの7翼祭壇画

添付2:中央のキリスト磔刑図

添付3:左:拡大図、右:デューラーのヴォルゲミュート肖像画(26年後)

添付4:デューラー作
「自画像」1500年
ドイツ、アルト・ピナコテーク蔵

添付5:メムリンク作
「婦人の肖像」
ベルギー、ハンス・メムリンク美術館蔵

添付6:聖アネン博物館入口

添付7:中世の木彫り祭壇

添付8:リューベックの入口に建つホルステン門

5人目の1430年生まれは前回にも名前の出たハンス・メムリンク(1430-1494)。

彼はドイツ、フランクフルト近郊の生まれですが、 ブリュッセルのロヒール・ファン・デル・ウェイデンのもとで修業し、 1465年にベルギーのブリュージュの市民権を取り、そこを活躍の場としました。

フランドル絵画の伝統である細密描写と温和な甘美性で ウェイデン譲りの宗教画や肖像画を多く手がけました。

彼の作品は世界52箇所にありますが、興味深い1作がドイツ、 リューベックの「聖アネン博物館」に展示されています。

それは7面のキリストの受難を描いた多翼祭壇画で、 1491年とメムリンクの最晩年の作です。

その中央を占めるキリスト磔刑図の左端、 改心した盗賊の十字架の下に3人の男がいてこちらを見ているのですが、 ある学者が1972年、その内の2人が若きアルブレヒト・デューラーとその先生 ミハエル・ヴォルゲミュートだと指摘したのです。

ニュルンベルク生まれのドイツ・ルネサンスの大家デューラー(1471-1528)は ヴォルゲミュートの下での修業を終えた1490年から1494年まで、 当時慣習となっていた、画家としての武者修行の旅に出ています。

第23回で述べたマルティン・ショーンガウアーの下で働こうと旅立ったのですが、 1492年に彼がコルマールに到着する直前にショーンガウアーは亡くなりました。

1490年に旅立ってから1492年にコルマールに到着するまで、 何処を彷徨っていたのかは判っていないのですが、 メムリンクの工房で客員画家として働いていたと考えても不思議はないのです。

聖アネン博物館は入り口はガラス張りの近代的ビルですが、 中はゴシック様式の聖アネン修道院をそのまま博物館として使用しています。

コレクションの重点は宗教芸術で、 旧修道院のゴシック様式ホールにはドイツで最も重要といわれる 中世の木彫り祭壇のコレクションが展示されています。

リューベックは作家でノーベル文学賞も受賞したトーマス・マンの出身地で、 13-14世紀に栄えたハンザ同盟の中心として繁栄した街です。

旧市街の入口には15世紀の中頃に建てられたホルステン門が 町のシンボルとして、今もその重厚な姿を残しています。

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