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美術館訪問記-56 アスコリ・ピチェーノのドゥオーモ(大聖堂)

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

添付1:カルロ・クリヴェッリ作
「マグダラのマリア」

添付2:カルロ・クリヴェッリ作
「受胎告知」
ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵

添付3:カルロ・クリヴェッリ作
「カンデレッタのマドンナ」
ミラノ、ブレラ美術館蔵

添付4:アスコリ・ピチェーノの「ドゥオーモ(大聖堂)」

添付5:カルロ・クリヴェッリ作
「多翼祭壇画」

添付6:地下礼拝堂の天井モザイク

ペーザロのあるマルケ地方を旅すると、 これまで触れてきたラファエロ、ロレンツォ・ロット、 ジョヴァンニ・ベッリーニ等と共に必ずお目にかかる画家がいます。

その名はカルロ・クリヴェッリ。 奇しくもジョヴァンニ・ベッリーニと同じヴェネツィアで、同じ年1430年の生まれ。

しかしベッリーニが押しも押されもせぬ大立物としてヴェネツィアを 闊歩していたのに比べ、クリヴェッリは姦通の罪で6カ月を監獄で過した後、 ヴェネツィアにいたたまれず、マルケ地方を転々とする破目に陥ります。 そのため、人家も僅かなマルケの田舎の村々の教会に彼の作品が多く残っています。

当時のヴェネツィアは海外貿易で繁栄していたので、空閨を守る婦女子も多く、 誘惑は至る所にあり、一罰百戒の意味もあったのでしょう。

彼の絵は一目見れば彼の作と判る、高貴なエロティシズムとでも言うべき 独特な物があり、その個性が愛されて世界中の有名美術館に所有されています。

アムステルダム国立美術館の「マグダラのマリア」、 ロンドン、ナショナル・ギャラリーの「受胎告知」、 ミラノ、ブレラ美術館の「カンデレッタのマドンナ」等。

当時としては既に過去のものになりつつあった、国際ゴシックの金地に 金具を張り付けたり、パドヴァ風の野菜や果物を飾り付けたりした、 不思議な魅力を放つ彼の絵を記憶されておられる方や、 画集で見られた方も多い筈です。 日本の国立西洋美術館にも彼の「聖アウグスティヌス」が所蔵されています。

クリヴェッリはヴェネツィア派をベッリーニ一族と共に支えた 2大勢力の一つヴィヴァリーニ一族の下で修業しました。 その後パドヴァで学び、マンテーニャの影響を受けたようです。

そのクリヴェッリの最高傑作はイタリア、マルケ州の最も南に位置する アスコリ・ピチェーノの「ドゥオーモ(大聖堂)」にあります。

アスコリ・ピチェーノは、古代ローマ以前に存在した民族 「ピチェーノ人」によって建設された歴史深い街。 この町の中心アリンゴ広場の一角に ローマ時代の公会堂の遺構を基に建てられた大きな聖堂が聳えています。

その右奥の側廊にサクラメント礼拝堂があり、 カルロ・クリヴェッリの21パネルの多翼祭壇画が飾られています。

この祭壇画には「多翼祭壇画の詩人」と謳われた カルロ・クリヴェッリの全てが結集されている感があり、保存状態も極めて良い。 金色に輝くヴェネツィアン・ゴシックのフレームも素晴しい。

描かれた諸聖人の衣装も鮮やかで、まるでファッション・ショーのよう。

中央が大きく、上段がその半分、下段が上段の三分の一ぐらいという 3層でできています。280x280cm。 中段には聖母子を中心に左右に2聖人ずつ、上段にはピエタを中心に 左右に2聖人ずつ、下段にはキリストを中心に左右に5聖人ずつの構成。

地下にはモザイクで飾られた立派な礼拝堂がありました。



注 :

マグダラのマリア:キリストに最後までつき従い、復活後最初に会ったとされる女性。聖人。歴史上の人物。生年、死亡年不詳。イエスの足に涙を落し、自らの髪で拭い、香油を塗ったとされる。またイエスの遺体に塗るために香油を持って墓を訪れたとも聖書に記述されており、香油の壺を持って描かれる事が多い。また全身を覆うような長髪で描かれることもあるし、悔悛を示す髑髏を持っている事も多い


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