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美術館訪問記 –519 ボーデ博物館、Berlin

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ボーデ博物館外観

添付2:ボーデ博物館エントランス・ホール

添付3:ボーデ博物館展示室

添付4:ドナテッロ作
「聖母子と4人の智天使」

添付5:ドナテッロ作
「ダビデ」 フィレンツェ、バルジェッロ国立美術館蔵

添付6:ヴェロッキオ作
「眠る若者」

添付7:レオナルド・ダ・ヴィンチ工房作(?)
「フローラ胸像」

添付8:アンドレア・デッラ・ロッビア作
「聖ドロテア」

添付9:リーメンシュナイダー作
「聖ゲオルギオスと竜」

添付10:ラファエロ作
「聖母子と洗礼者ヨハネ」

ベルリンに来たら外せないのが世界遺産にも登録されている博物館島。4つの国立博物館と既に採り上げた事のある旧国立美術館の5つが中洲の一角に集まっているのでこの名で呼ばれています。

その最北にある円蓋を載せた建物が「ボーデ博物館」。

1904年に完成し、当初ドイツ皇帝フリードリヒ3世にちなんで、フリードリヒ博物館と呼ばれていましたが、その後、1905年からベルリン国立美術館総長を務めたヴィルヘルム・フォン・ボーデがこの博物館の発展に捧げた尽力に敬意を表し、1956年、ボーデ博物館と改名されました。

建築様式はネオバロックで、敷地は6000㎡と東京ドームの半分ほどの大きさ。

中世ヨーロッパの彫刻、古銭・貨幣、ビザンチン美術などを展示しています。

入ると天井まで吹き抜けのエントランス・ホールになっており、中央ドーム以外にも幾つかのドームや太い円柱も何本かあって風情がありました。

ゆとりのある展示室に彫像が数多く立ち並んでいます。

イタリア彫刻史にミケランジェロと並び立つ巨匠ドナテッロの浮彫「聖母子と4人の智天使」がありました。

ドナテッロはミケランジェロより89年前の1386年頃フィレンツェで生まれ、彫刻家ギベルティの下で修業後ローマに滞在して、古代彫刻を研究し、フィレンツェに戻って、1430年頃、かの「ダビデ」像を制作しました。

これは古代以降最初の前後左右を見られる、二本足で立つ裸体独立像です。それにしては現代にも通じる完全無欠な作品。まさに天才の作としか言いようがありません。

この時代を超越したような耽美で写実的な彫像は、画家としてルネサンスの扉を開けたマザッチョが立体感のある写実的絵画を描くのに大きな刺激となり、それに続くレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロにとっても範とするに十分でした。

ここにある浮彫は1440年頃の作ですが、ドナテッロの作品がイタリア以外で観られるのは珍しい。

ドナテッロの50年近く後に生まれ、フレンツェで大工房を経営してダ・ヴィンチやボッティチェッリ、ペルジーノ、ギルランダイオ、シニョレッリら錚々たる弟子たちを育成したヴェロッキオの彫刻「眠る若者」がありました。

ヴェロッキオの作品をイタリア以外で観るのはもっと珍しい。

そのレオナルド・ダ・ヴィンチ工房作という彫刻「フローラ胸像」もあります。

1909年にヴィルヘルム・フォン・ボーデがレオナルド・ダ・ヴィンチ作と信じてイギリスで購入したものですが、イギリス側は19世紀のイギリスの彫刻家リチャード・ルーカスの模作だと主張。

ルーカスの息子の証言などからイギリス側の意見が正しそうなのですが、現在もダ・ヴィンチ工房作として展示されています。但し帰属については様々な意見があると言う注釈が書かれていました。

アンドレア・デッラ・ロッビア作の彩釉テラコッタが6点ありましたが、その内の1点、「聖ドロテア」はアンドレアの作品では観たことのない赤く着色された衣服を着た聖女の立像で、神々しくも嫋やかで瞠目しました。

イタリアの彫刻ばかりでなく、ドイツの誇る彫刻家リーメンシュナイダーの作品15点なども展示されていました。

ラファエロがまだペルジーノの工房にいた修業途中の19歳で描いた珍しい作品もあります。

この作品を始めとしてアレッサンドロ・アッローリやブロンズィーノ、ヴァザーリ、マニャスコ、クラーナハ、ルイス・デ・モラレスなどベルリン絵画館から貸与された絵画作品が数多く展示されていました。

ベルリン絵画館へ行っても、ここに来なければ、絵画館の所蔵品を全部観たことにはならない事を痛感させられました。