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美術館訪問記 –476 ウォバーン・アビー

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ウォバーン・アビー鹿公園

添付2:ウォバーン・アビー・ハウス外観 写真:ウォバーン・アビーHP

添付3:ハウス内階段の間

添付4:ダイニング・ルーム 写真:ウォバーン・アビーHP

添付5:カナレット作
「造兵廠への入口」 写真:ウォバーン・アビーHP

添付6:カナレット作
「グランド・カナル入口」写真:ウォバーン・アビーHP

添付7:レイノルズ作
「タヴィストック侯爵夫人エリザベス・ケッペル」

添付8:アルベルト・カイプ作
「ネイメーヘン城壁」

添付9:サッソフェッラート作
「最後の晩餐」

添付10:サッソフェッラート作
「聖母マリアの祈り」

アスコットから東北に10㎞程のベッドフォードにあるのが「ウォバーン・アビー」。アビーというのは元来大修道院や寺院の事ですが、転じて元大修道院で貴族の屋敷として使われるようになった大邸宅のことも指します。

このウォバーン・アビーも元は1145年に創建された修道院でしたが、悪名高きヘンリー8世がローマ教皇と対立し、修道院を解散して自らイングランド国教会の首長になった事に異を唱えた修道院長が絞首刑に処せられ、修道院の所有していた土地と建物はヘンリー8世のお気に入りだったジョン・ラッセルに与えられます。

ラッセルは病死したヘンリー8世の後を継いだエドワード6世によって1550年、初代ベッドフォード伯爵に任ぜられます。第5代ベッドフォード伯爵が初代ベッドフォード公爵に任ぜられ、現在の第15代公爵まで連綿とその地位と領土を保持して来ています。

第二次大戦で被害を受け荒廃していたウォバーン・アビーを立て直したのが第13代公爵で、広大な土地を利用して、サファリパークやゴルフコース、旅館、レストランなどを経営し成功させて現在に至っています。

ここは門からかなり距離があります。大きな館が見えてきたのでそれかと思うと違い、アビー・ハウスはそこから更に3㎞以上進んだ所にありました。途中何十頭もの鹿の群れを2つは見かけました。

ここは3000エーカー、つまり360万坪の広大な公園になっており、9種類の鹿が生息しているのだとか。

館の近くの駐車場に停めたのは11時半近く、朝食が早かったので「公爵夫人のティー・ルーム」と名付けられた茶室で昼食を摂りました。ここは英国名物アフタヌーン・ティー発祥の地で、1840年頃に第7代ベッドフォード公爵夫人、アンナ・マリアによって始められたとされます。

当時の貴族の食事は朝夕の2食だけ。夕食も社交や観劇の後という事が多く夜の8時、9時になる。社交好きだったアンナは社交や観劇の始まる前の3時頃に空腹を紛らわせるのと女性間の社交のためアフタヌーン・ティーを始めたのだとか。

ここは3階まであり部屋数も多く、それぞれ華麗に装飾されて公爵家としての威厳を今に伝えています。

絵画も歴代の当主が収集して来たコレクションが各部屋に掛けられています。感嘆したのがダイニング・ルーム。

上中下3段に全て同じ大きさのカナレットが、3方の壁の両端に2組ずつ、扉のある壁には他と同じ大きさの2点と大型のもの1点、計7組で21点あります。

いずれもヴェネツィア風景を描いたものですが、カナレットの21枚組が一堂に会しているのは世界でもここだけでしょう。

特にヴェネツィア海軍の軍艦を多数造り出した造兵廠を描いた景観図は現在とほとんど変わらない佇まいを見せています。

これらの作品は第2代ベッドフォード公爵の次男ジョン・ラッセルが妹と妹婿と帯同して当時上流階級で流行していたグランド・ツアーで1731年、1年間ほどヨーロッパを周遊した際、カナレットに頼んだものなのです。

しかも実際は24点組で他の3点は別の部屋に掛けられていました。この時カナレットの英国の代理人に支払った記録が残っており、その金額は輸送賃やエージェント・フィーも含め何と総額188ポンド。

1736年の支払いですから現在価値は1000万円に届かないぐらいでしょうか。その内カナレットにいくら渡ったのかは判りませんが、イタリアを代表する景観画家の名画も随分手頃に入手できたものです。

ジョン・ラッセルは帰国後の1732年、兄の第3代ベッドフォード公爵が24歳の若さで子供を残さず死亡したため、第4代ベッドフォード公爵に就いています。

ジョンの息子でタヴィストック侯爵だったフランシスとその夫人エリザベス・ケッペルの肖像画を別々に描いたジョシュア・レイノルズの手になる作もよい出来でした。レイノルズの作品は他にも10点ありました。

フランシスは28歳で父より早く亡くなっており、息子の同名のフランシスがわずか6歳で第5代ベッドフォード公爵を継いでいます。

前回紹介したアルベルト・カイプが描いた、オランダで初めてローマ帝国の都市権を得た街として知られる、ネイメーヘンの夕暮れの風景もあります。

客にお茶をふるまうための部屋、パーラーにはサッソフェッラート(第312回参照)の珍しい大作、「最後の晩餐」もありました。彼らしい清冽な色彩と構成の清々しい絵です。

彼の作品としては最も世に知られた「祈る聖母マリア」像もありました。サッソフェッラートもイギリスではポピュラーだったようで、よく見かけます。

この他にもレンブラントやダイク、ステーン、プッサン、クロード・ロラン、リッチ、ムリーリョ、レーリー、ゲインズバラ、ローレンス、ランドシーア、ホイエン、アンニーヴァレ・カラッチなど多士済々。

ここは撮影禁止。従って鹿公園以外の写真はウォバーン・アビーのホーム・ページかカタログ本から借用しました。