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美術館訪問記 - 433 市立近代美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:市立近代美術館

添付2:ダンテ像

添付3:アイエツ作
「瞑想」

添付4:フェリーチェ・カソラーティ作
「祈り」

添付5:アルベルト・サヴィーニョ作
「海の詩」

添付7:市立近代美術館内部

添付8:ノタイ礼拝堂

ヴェローナの旧市街には、もう一つ見逃せない場所があります。

サンタナスターシア教会の直ぐ近くにある「市立近代美術館」。

ダンテ像が中央に立つシニョーリ広場とエルベ広場の間に建つ、 茶と白の縞模様が美しいラジョーネ宮殿の2階にあります。

2014年4月からここにカリヴェローナ財団とドームス財団の所蔵品を 初めて統合して、市のコレクションとして展示しています。

1840年から1940年までの作品で、ここの白眉はカタログ本の表紙を飾っている フランチェスコ・アイエツの「瞑想」。

一目でアイエツ作と判る魅力的な若い女性が、聖書を右手に十字架を左手に持ち、 豊かな右乳を露わにして正面を凝視しています。

振り返ってみると、これまでアイエツの作品は何回か紹介したものの 彼自身については説明していなかった事に気付きました。

アイエツは1791年ヴェネツィアの貧しい家の生まれで、母の妹の家に 里子に出されたのですが、彼女の夫は大きな商店のオーナーで裕福でした。

叔父は美術収集を趣味としており、アイエツは小さい頃から絵に触れて育ちました。 アイエツは成長とともに画才を発揮し始めます。

1806年、15歳で美術アカデミーに入学、 1809年、18歳でヴェネツィア・アカデミー主催の絵画展で受賞し、 ローマの聖ルカ・アカデミーで1年間学ぶ権利を得ると、 そのままローマで5年間を過ごします。

アイエツはローマで当時滞在中のアングルやナザレ派の影響を受けました。 彼らの画風を採り入れつつも、緻密な写実的描写の中で知的かつ抒情性溢れる 感傷的精神を表現し、イタリア・ロマン主義を代表する画家へと育って行きます。

ナザレ派は1809年、ウィーン・アカデミーに学んでいた学生6名が アカデミーに反抗して結成した集団を指し、翌年ローマのサンティシドロ修道院跡 に籠って中世の画家のような宗教への奉仕と共同制作を目指したもので、 彼等の髪を伸ばした異様な風体からナザレ派と呼ばれました。

ナザレ派は後のラファエル前派の手本ともなりました。 主要人物にオーヴァーベック、プフォル、コルネリウスなどがいます。

1820年、アイエツはミラノに移住した後は91歳で亡くなるまでミラノで過ごし、 1850年にはブレラ美術館館長に任命されています。

アイエツの他には、いずれも初認識だった、 クリムトの「接吻」を想起させるフェリーチェ・カソラーティの「祈り」、 バラ色の時代のピカソを連想したアルベルト・サヴィーニョの「海の詩」、 エドワード・ホッパー的な現代の詩情が感じられたヴィルジリオ・グイーディの 「帽子を被った自画像」等が印象に残りました。

順路には14世紀に造られ、17世紀末から18世紀初にかけて天井全てと壁の上半分が 華麗なフレスコ画で装飾されたノタイ礼拝堂も含まれていました。

(添付6:ヴィルジリオ・グイーディ作「帽子を被った自画像」 は著作権上の理由により割愛しました。
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