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美術館訪問記 - 431 サンタナスターシア教会

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ピサネッロ作
「エステ家の公女」ルーヴル美術館蔵

添付2:サンタナスターシア教会正面

添付3:サンタナスターシア教会入口

添付4:サンタナスターシア教会内部

添付5:ピサネッロ作
「聖ゲオルギウスとカッパドキアの王女」

添付6:ジョヴァンニ・フランチェスコ・カロート作
「聖マルティーノ」

添付7:ロレンツォ・ヴェネツィアーノ作
「謙譲の聖母と聖人達」

添付8:アルティキエーロ作
「聖母子にカヴァッリ家の者たちを紹介する聖人達」

前回触れたピサネッロはまだ説明していませんでした。

彼は1390年頃ピサの生まれで、本名アントニオ・ディ・プッチョ・ピサーノ。 生誕地と名字からピサネッロと呼ばれています。

子供時代をヴェローナで過ごし、ヴェローナの画家の下で修業を積んだ後、 ヴェネツィアに移り国際ゴシック様式の巨匠ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ に師事しています。

1427年にジェンティーレ・ダ・ファブリアーノが世を去った後は、 国際ゴシック様式を代表するイタリア随一の宮廷画家としてヴェネツィア、 ヴェローナ、マントヴァ、フェッラーラ、ローマ、ナポリなどで各地で活躍します。

フェッラーラの領主だったエステ家の公女の肖像画は、 ピサネッロの作品として最も世に知られたものでしょう。

1455年頃ナポリで亡くなりますが、没後はルネサンス様式の隆盛により 急速に忘れ去られてしまい、現存作品は極めて限られます。

彼の代表作と称されるフレスコ画がヴェローナの 「サンタナスターシア教会」にあります。

この教会は1290年、それ以前にあった同名の小教会を潰して建築開始。 ヴェローナで一番大きな教会です。1400年にゴシック様式で一応の完成をみますが ファサードは未だに完成していないのです。

ファサードは内部の三身廊に対応した形で垂直方向に3分割され、 中央上部にバラ窓、両脇は縦長のステンドグラスが設置されています。

正面扉周辺の5連の大理石アーチは、ヴェローナ産の白と赤い大理石と 青いグレーに見える石を使っていて、 如何にもサンタナスターシャ(聖女アナスターシャ)という教会名に相応しい感じ。

このように色鮮やかで、ほのぼのとした感じのする教会入口も珍しい。

聖女アナスターシャは当時ローマ帝国領だった現在のセビリアで キリスト教に帰依し、貧者や病者への慈善に熱心で、多くの施しを行い、 キリスト教徒ゆえに304年に殉教したとされる聖人です。

内部は白と赤の大理石の柱で三身廊に分けられ、天井や壁は華麗に装飾されており、 一番奥にはプレズビテーリオと呼ばれる僧侶専用のエリアがあり、 キリストの磔刑像が祭壇の中央に置いてありました。

ここのペッレグリーニ礼拝堂に、ピサネッロの代表作、 「聖ゲオルギウスとカッパドキアの王女」があるのです。

聖ゲオルギウスは古代ローマ帝国の軍人ながらキリスト教に帰依し、 ディオクレティアヌス帝の迫害を受けましたが、信念を貫き、 パレスチナで斬首され、殉教したといいます。

竜の生贄にされそうなカッパドキアの王女を助け、 その町の住民をキリスト教に改宗させたという伝承で名高く、 龍退治の様子は、絵画にもよく採り上げられています。

ゲオルギウスはラテン語読みで、 英語ではジョージ、イタリア語はジョルジョ、スペイン語はホルヘとなります。

通常、勇猛果敢に描かれる聖ゲオルギウスが、 この絵では強敵との戦いに出かけるために馬に乗ろうとする彼は、 寧ろ自信なさげにあらぬ彼方を向き、助けられる方のカッパドキアの王女は 失敗したら許さないからという風に、彼を睨みつけています。

背景の都市の情景、お手並み拝見とでもいうかのような町民たちの冷ややかな視線、 絞首刑にかけられている罪人たち。ピサネッロのつくり出す画面は 幻想的でロマンティックながらシニカルです。

聖ゲオルギウスの、聖人というには、隠しようのない緊張感とためらいは、 1436年頃というこの絵の制作年から600年近い時を超えて、 ピサネッロの、冷静で透徹した観察眼を観る者に知らしめてくれるかのようです。

またこの絵は絵画の歴史上、初めて馬を正面から、お尻から描いたもので、 これによって絵の奥行きが作り出されており、 その点でもピサネッロの独創性が感じられます。

それまでは馬は常に横側からの姿で描かれていました。

この教会にはジョヴァンニ・フランチェスコ・カロートの「聖マルティーノ」や ヴェネツィア派の始祖と言われるロレンツォ・ヴェネツィアーノの 「謙譲の聖母と聖人達」、ヴェローナ派の始祖アルティキエーロのフレスコ画 「聖母子にカヴァッリ家の者たちを紹介する聖人達」もありました。