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美術館訪問記 - 418 ピオ・モンテ・デッラ・ミゼリコルディア教会

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ピオ・モンテ・デッラ・ミゼリコルディア教会入口

添付2:カラヴァッジョ作
「慈悲の七つの行い」

添付3:2階の1室から見た教会内部

添付4:リベーラ作
「大アントニオス」

添付5:ルカ・ジョルダーノ作
「自画像」

添付6:フランチェスコ・デ・ムーラ作
「王子の栄光」

添付7:フランチェスコ・デ・ムーラ作
「受胎告知」

ナポリ大聖堂の右にあるトリブナリ通りを左に曲がって1ブロック行くとあるのが 「ピオ・モンテ・デッラ・ミゼリコルディア教会」。 狭い通りに面して他の建物群に取り囲まれているので、知らなければ判りません。

ピオ・モンテ・デッラ・ミゼリコルディアは1601年にナポリ在住の若い7人の 貴族達によって設立された慈善団体で、「神の慈悲を施す慈善会」という意味です。

貧困者や病人の救済、巡礼者への宿舎提供など各種の慈善事業を行う傍ら、 この教会を建設。1606年9月に完成し、翌月の1606年10月、当時、ローマから 逃亡して偶々ナポリに来ていたカラヴァッジョに祭壇画を注文したのです。

カラヴァッジョは翌年、390cm x 260cmの大作「慈悲の七つの行い」を完成させます。

飢えた人には食べさせ、喉が渇いた人には飲ませ、旅の人には宿を貸し、 服のない人には着せてやり、病気の人を見舞い、囚人を訪ね、死者を埋葬する、 というマタイの福音書に書かれている七つの慈善行為を描いたものです。

七つの行為とそれらを見守る聖母子と天使を配した、カラヴァッジョの全作品中、 最も複雑な構図ですが、それがまた斬新で、彼特有の強い明暗法で浮かび上がった 創造的な描写は、当時のナポリで大きな反響を呼びました。

その結果、カラヴァッジョを信奉するカラヴァッジョ派の画家が、 この町から多く誕生することとなったのでした。

この時カラヴァッジョは400ドゥカート受け取ったそうです。 当時の1ドゥカートが現在価値でいくらになるのか明確ではありませんが、 少なくとも6万円、妥当なところで10万円ぐらいということなので、 カラヴァッジョはこの1作で4000万円ぐらいを受け取ったことになります。

当時いかにカラヴァッジョが高く評価されていたかがわかります。

ちなみにティツィアーノの貴族の肖像画が300ドゥカート、 ヴァティカンにあるミケランジェロのピエタ像の製作費が450ドゥカート。 時代が多少違うので同等に比較はできませんが、たいしたものです。

教会内の左奥に絵画館への入口があります。教会内部の見学は無料ですが、 絵画館は有料。入場料を払ってエレベーターで2階に上がると、 吹き抜けになっている教会の身廊を取り囲む形に展示室が配置されています。

その1室から主祭壇にあるカラヴァッジョの絵がよく見渡せました。

展示されていたのはナポリで活躍した画家たちの作品。

名の知れた画家は当初カラヴァッジョの影響を強く受けたリベーラと リベーラの最晩年の弟子だったルカ・ジョルダーノぐらいですが、 ルカの最後の自画像となった眼鏡をかけた自画像が、スペイン王から騎士を 与えられるなど、昇りつめた画家の地位と尊厳を示していて印象的でした。

1692年頃の作ですが、当時このような老眼鏡が既にあったのですね。

ナポリ生まれの画家フランチェスコ・デ・ムーラの作品が 39作も展示されていました。 彼は死に際し、所蔵していた作品やスケッチを全てこの教会に寄贈したのでした。

イタリアでは急速に撮影禁止が解かれているので、拙文をお読みになっている時は どうか判りませんが、私が最後に訪れた時までは館内は撮影禁止。従って内部の 添付写真はピオ・モンテ・デッラ・ミゼリコルディア教会のHPから借用しました。