美術館訪問記-261 ベルン美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ベルン美術館正面

添付2:ベルン美術館1階大部屋内部

添付3:フェルディナント・ホドラー作
「昼」

添付4:アルベルト・アンカー作
「編み物をする少女」

添付5:フェリックス・ヴァロットン作
「アンドロメダ」

添付7:フラ・アンジェリコ作
「聖母子」

添付8:ピエール・ボナール作
「南向きの庭にて」

ベルンはアーレ川が周囲を削り、高い断崖に三方を囲まれた半島のような旧都です。 永く中立を保ってきたスイスの首都ゆえ、ほとんど無傷で中世の姿を伝え、 重厚な石造りの町並みが今に残っています。

その古都の西隅にアーレ川に背を向けて建っているのが「ベルン美術館」。

パウル・クレー・センターが開館するまで、パウル・クレー財団のコレクションを 展示・保管していた場所でもありますが、前回添付したクレーの代表作、 「パルナッソス山へ」を始めとする彼の主要作品、少数はここに残っています。

美術館はベルン産の砂岩を使用した、フランス・ルネサンス様式を模した 風格ある建物。

ここの1階入って直ぐは縦長の大部屋で、その奥の小部屋共々 スイス出身の近代画家達の作品が集められています。

奥の小部屋はフェルディナント・ホドラーに捧げられていて、 正面には彼の代表作とも言える大作「昼」が、その周りにスイス発行の 切手の図案にもなった「木を切る人」を含め5作が配されていました。

彼の作は何時観ても素直に心に響いて来て何らひっかかるものがありません。

大部屋にはホドラーや、アンカー、ジョヴァンニ・ジャコメッティ、ヴァロットン、 クーノ・アミエ等、第169回や170回で触れたスイス出身画家達が並んでいます。

特にアンカーの作品は10作もあり、彼の絵は平和そのもので 国民画家として慕われるのも無理はないと思えます。

ヴァロットンの古典に題材を採った「アンドロメダ」と「ヨーロッパの略奪」が 彼の作品としても、近代絵画作品としても珍しい。

クーノ・アミエが師ホドラーの棺に納められた姿を描いた絵は印象的でした。

アミエは日本の明治維新の年、1868年スイスの生まれで、絵画の道を志し、 18歳でミュンヘンの美術アカデミーに入学。ジョヴァンニ・ジャコメッティと 生涯の友人になり、二人でパリに出て4年間修業し、 色彩を形態に優先するスイス初の画家となって、スイスに戻るのです。

1898年ホドラーの肖像画を依頼されたアミエは、 以後15歳年上のホドラーの影響を強く受け、師と仰ぐようになります。

別棟にある2階の古典の部屋に入ると、ニクラウス・マニュエルの 貴族のような服装の「自画像」やフラ・アンジェリコのやや目つきの鋭い「聖母子」、 ボッティチェッリ工房作のウフィッツィにある絵のコピー等がありました。

2階にはホドラーの出世作「夜」や大作「選ばれし者」もありました。

他にはセザンヌの「自画像」、マティスの「青いブラウス」、 ロートレックの「ピアノを弾くミシア・ナタンソン夫人」、 クレーの「パルナッソ山へ」、ボナールの「南向きの庭にて」、 シャガールのおどろおどろしいような「私の婚約者へ」、 ダリのミレーの晩鐘の彼なりの解釈によるオマージュ、等が印象に残りました。

2014年秋、衝撃のニュースが美術界に流れました。 アドルフ・ヒトラー専任の美術商、ヒルデブラント・グルリットの息子、 コーネリウス・グルリットが父の死後に譲り受け、永年隠匿して来た 1400点もの絵画をベルン美術館に全部寄贈すると遺言して死亡したのです。

ベルン美術館は困惑したものの、ナチスが盗んだ物でないと確信できる作品だけを 受け取り、それ以外の作品はドイツ当局に帰趨を委ねると発表しました。

コレクションにはセザンヌ、ムンク、マティス、ピカソ、シャガールなどの絵画が 多数含まれているといいます。

私がベルン美術館を最後に訪れたのは2012年なので、 これらの作品が次に何時観られるかと、楽しみにしています。

(添付6:クーノ・アミエ作「棺の中のフェルディナント・ホドラー」及び 添付9:シャガール作「私の婚約者へ」 は著作権上の理由により割愛しました。
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