美術館訪問記-252 サン・マクルー大聖堂 

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:サン・マクルー大聖堂正面

添付2:サン・マクルー大聖堂内部

添付3:サン・マクルー大聖堂内部

添付4:エドゥアール・ディドロン作ステンドグラス

添付5:エドゥアール・ディドロン作ステンドグラス

添付6:エドゥアール・ディドロン作ステンドグラス

添付7:教会入口扉後ろの彫刻

添付8:大聖堂からポントワーズ駅を臨む

前回冒頭で触れたサン・マクルー大聖堂にも勿論寄って来ました。

ローマカトリック教会で大聖堂というのは司教座の置かれた教会をいいます。

司教座とは一つの司教区の長である司教が執務する座席のことで、 司教はその区内にある教会の司祭達の頂点に立つ高位聖職者で 使徒の継承者と見做されています。

司教座の事をラテン語でカテドラと言い、これから大聖堂を英仏語ではカテドラル、 イタリア語ではカッテドラ―レまたはドゥオーモと呼んでいます。

厳密に言うとドゥオーモ(神の家を意味する)は町で一番重要な教会を指し、 大聖堂である場合が多いのですが、小さな町では司教座がない場合も多い。 その場合は聖堂と呼ぶのが普通です。

大聖堂と聖堂の違いを教会の大きさの違いと勘違いされている方もおられますが 聖堂より小さい大聖堂も多く存在します。

この美術館訪問記では美術品のある教会を何度も採り上げて来ましたし、 今後も採り上げて行く事になるでしょうから、ここで一度明確にしておきます。

今回このような説明をしたのはサン・マクルー教会が大聖堂に昇格したのは 1966年と随分新しいからなのです。そのためか大聖堂としてはやや規模が小さいが それでも他を圧する堂々たる姿をしています。

教会の建設は古い礼拝堂跡に12世紀に始まり、15-16世紀に完了しています。

教会の東側には12世紀の建築が残り、中央やファサードは15-16世紀の フランボワイヤン・ゴシックの特徴を備えています。

フランボワイヤンとは炎の燃え上がるようなという意味の言葉で、 15世紀から16世紀にかけての,後期フランス・ゴシックの様式を指します。 窓や飾破風の装飾が,火炎の形状に似ているところからこの名が付けられました。

中に入ると、バッハの歌曲をカルテットが演奏しており、 女性歌手の美しい歌声が聞こえて来ました。

チェンバレンの響きが中世風で教会の佇まいに調和しています。

夕方から始まるコンサートに向けて準備しているところなのでしょう。 いずれもラフな装いです。

欧米を旅していて日曜日の午後教会に入ると、よくこういう光景に出くわします。 日曜日の夕べをこうしたコンサートで過す人々が多いのでしょう。風雅です。

暫し、素晴らしい歌声と演奏に聞き入りました。

歩き回った疲れも和らぎ辺りを見渡すと、三方がステンドグラスで囲まれています。

実に鮮やかな色彩の乱舞。明るさや色彩のグラデーションも見事。 細部まで見事に描き分けられていて、ステンドグラスというより光る絵画という趣。

今度はこれらのステンドグラスに見入ってしまいました。

キリストの受難の物語が展開されています。

作者はエドゥアール・ディドロン(1836-1902)。 フランスで数多くの教会のステンドグラスを手掛けた名工です。

彼はまた「考古学年報」の編集者でもあり、美術関連の著作も多い学者でした。

彼の養父、アドルフ・ナポレオン・ディドロンは1844年に「考古学年報」を 発刊した教授で、中世の音楽、ステンドグラス、建築などの価値を力説し、 ゴシックはフランスの国民的芸術だと主張した指導的人物でした。

レジオンドヌール勲章も受章し、ステンドグラスの工場を設立したりもしています。

教会入口扉の後ろには十字架から降ろされた死せるキリストを囲む群像が ギリシャ彫刻のような彫りで鎮座しています。1550年作。

教会の南側がポントワーズ駅から見える所で、展望台が設けられ、 駅へ続く街並みとその先の森林が見渡せるようになっていました。