美術館訪問記-173 兵馬俑博物館 

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:兵馬俑博物館正面

添付2:兵馬俑博物館内部

添付3:将軍俑

添付4:兵士俑群像

添付5:騎馬俑

添付6:楊全義サインの博物館本

中国の西安市の東、驪山(りざん)の北にある秦始皇帝陵の近くに 「兵馬俑博物館」があります。

博物館と言っても、発掘現場を巨大な屋根と壁で覆っただけのものですが。

中華人民共和国は20回近く訪れましたが、 見る価値のある油彩画を保有する美術館はまだありません。

中国人画家の作品だけなら上海美術館がありますが。

尤も私が最後に訪中したのは2004年で、その後は追跡していません。

世界第二の経済大国になった中国には美術品も集まってきており、 素晴らしい美術館ができるのも時間の問題でしょうが。

北京の故宮博物院や上海の上海博物館のように、中国文明の成果を物語る 美術品や発掘品を大量に所有している場所はありますが、 絵画は水墨画しか展示されていません。

その中国で最も強烈な印象を与えられたのが、この兵馬俑博物館なのです。

何せ八千数百体に及ぶ実物大の焼き物の兵士達や馬が、発掘現場にズラリと 並んでいるのですから、その異様な迫力と数に圧倒されました。

何千というその1体1体が全部異なり、それぞれ役割と配置により 当時の姿そのまま、本物そっくりに作られているというのです。

顔、髪形、髭、が全部異なり、同じものは一つとしてなく、専門家が見れば 出身の部族が特定できるといいます。 これにより秦の軍隊が様々な民族の混成部隊であった事が判明したのだとか。

中国史上初めて全土の統一を成し遂げた秦の始皇帝は紀元前210年に死亡。

来世でも生前の生活をそのまま継続できるよう、 これらの兵馬俑が2年以内に作られたというのです。

2200年の時を経て、今では彩色はほとんど失われていますが、 部分的に残っている彩色から、出来た時は全身綺麗に色が塗られ、 まさに生きているように見えた筈と考えられています。

添付写真の背後に写っている現代人と比べても大きく、 始皇帝の近衛兵は身長180cm以上が選択基準だったといいます。

どの顔も観ていると、何故か我々のルーツを思わせる様で、 昔の日本人顔と重なってきます。

古武士の風格と言おうか、ひたむきな農民の額に汗する姿と言うか、 貴族の優雅さだけは浮かんで来ません。

時を隔てて、遥かに過ぎ去りし人生を想い起させる。 これこそが芸術の証ではないでしょうか。

これらの群像を短期間で作り上げた数多き名もなき芸術家達が偲ばれます。

この兵馬俑は1974年に井戸掘りをしていた農民が偶々発見した1体が 発掘のきっかけだったとか。

その発見者、楊全義は特権として博物館前に土産物店を無償で開く事を 認められており、私が訪れた2002年にはいまだ元気で博物館本の購入者に 自分のサインをしていました。 日本語本もあり、購入すると目の前でサインしてくれました。

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