美術館訪問記-131 ヴィクトル・ユーゴーの家

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ヴィクトル・ユーゴーの家入口

添付2:レ・ミゼラブルの古いポスター

添付3:中国風サロン

添付4:ダイニング・ルーム

添付5:ヴィクトル・ユーゴーのインク画

添付6:ヴィクトル・ユーゴーのインク画

パリの最後は「ヴィクトル・ユーゴーの家」を採り上げましょう。

あの不朽の名作「レ・ミゼラブル」を書いた文豪ユーゴーです。

実は彼は絵画も素人の域を抜けています。

23歳でレジオン・ドヌール勲章を受章するという早熟の天才でしたが、 文学が駄目だったとしても、替わりに早くから専念していれば、 絵でも十分生活できたのではないかと思わせるものが彼の絵にはあります。

もともとはアンリ4世によって建てられた王宮の中庭だったヴォージュ広場が、 パリでも代表的な歴史地区であるマレ地区の中心にあり、 一辺が約100mの広場の3方を赤レンガの建物が囲んでいます。

その凹型の建物の右下角の一角がヴィクトル・ユーゴーの家として 1902年から美術館として公開されています。

ユーゴーが1832年から48年まで住んだ家です。

この建物にはかなりの数の世帯が居住しているようですが、 1階は全体的に半分が通路となっており、 その上にかぶさる形で2階以上はその部分も居住域になっています。

狭い階段が5階まで続きます。その階段の壁には戯曲化されて大ヒットになった レ・ミゼラブルの古いポスターなどが展示されています。

2階の入口から部屋に入るとユーゴーゆかりの品々が展示されています。 部屋や、家具のデザインもユーゴー自身が行ったといいます。

特に33歳で知り合い、死ぬまで50年間の愛人であった ジュリエット・ドルエのためにデザインした中国風サロンと食堂は、 彼の特異な才能を示しています。

彼はこのサロンのために、小像や陶器、磁器などを置いて組み合わせた 飾り棚風の大きな板張り装飾を制作しています。

内容は全く異なりますが、 ロンドンのレイトンの家のアラブ・ホールを想起しました。

この2つの部屋は別の建物にあったものを美術館にする時に移築したものです。 妻妾同居ではありませんから、念のため。

僅か19歳で夫と共にセーヌ川で事故死した、 愛嬢レオポルディーヌの思い出の品々と共に、ユーゴーの幼馴染の妻 アデルが描いた肖像画「読書をするレオポルディーヌ」もあります。

ユーゴーとドルエの関係はアデルの不倫が発端でした。 アデルはユーゴーの友人、ロマン主義を代表する作家の一人で近代批評の父とも 称えられる、サント・ブーブとただならぬ関係になってしまったのです。 ユーゴーのため、誤解の無いよう付け加えておきます。

室内の処々にユーゴーの描いた素描や、水彩画、クレヨン画が飾られています。

実はここを訪れるまで、ユーゴーが絵を描くとは知らなかったのですが、 冒頭に書いたような印象を持ちました。

3階の窓からのヴォージュ広場の眺めは、 ユーゴーが生活していた当時とまったく変わっていないかのようでした。

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