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美術館訪問記 No.5 スターリング・アンド・フランシーヌ・クラーク美術館

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

スターリング・アンド・フランシーヌ・クラーク美術館

ドメニコ・ギルランダイオ作
「淑女の肖像」

クエンティン・マセイス作
「聖母子と聖エリザベス、洗礼者ヨハネ」

マビューズ作
「ある紳士の肖像」

マビューズ作
「ダナエ」
ミュンヘン、アルト・ピナコテーク蔵

マビューズ作
「ネプテューンとアムピトリーテー」
ベルリン絵画館蔵

マビューズ作
「マルヴァーニャの祭壇画」
シチリア州立美術館蔵

クエンティン・マセイスの宗教画は、以前にアメリカ合衆国の田舎町でも見たことがありました。

ドミニコ・ギルランダイオの「淑女の肖像」が目的で出向いた、マサチューセッツ州ウイリアムズタウンにある「スターリング・アンド・フランシーヌ・クラーク美術館」にマセイスの「聖母子と聖エリザベスと洗礼者ヨハネ」がありました。

このクラーク美術館は、私が今まで訪れた美術館の中で大都市から行くには最も辺鄙な所にある美術館です。

ニューヨークから北に300km程の所にあり、ジョン・エフ・ケネディ空港から車で4時間近くかかりました。ボストンからでも西に250km、3時間はかかります。勿論近くまで小さな飛行機が飛んでいるでしょうが、乗換えやその後の足の便を考えると、かかる時間はたいして変わらないでしょう。

スターリング・クラークはシンガーミシンの創立者の孫で、祖父の遺産を継ぎ、妻のフランシーヌと共に印象派を中心とした膨大なコレクションを残しました。ルノワールだけでも39点あります。目当てのギルランダイオや印象派の画家達の作品も素晴らしかったのですが、 この美術館では新たな発見が2つありました。

一つは精悍な壮年男性の上半身肖像画。

ホルバインやクラーナハの男性肖像画がよく着用している、茶色の毛羽立った襟裏のコートを胸前で大きく広げ、首まできっちりとボタンの留められた、細かい刺繍の施された優美なシャツを着込んでいる。富力を誇るように皮の金袋を左手で胸元に持ち、右手はその袋の下に添えている。幅広の縁の付いた茶色皮の帽子には、白い大きな羽毛が一つ飾られている。

身体全体は4分の3左を向き、眼だけがこちらを鋭く見つめている。髪は濃い茶色。同色の口髭と顎鬚を蓄えている。背景は濃い緑。何より絵に力があり、描かれた男性の富と権力に基づく気迫が伝わってくる。男の色気が匂い立つとでもいいましょうか。

今まで見たことのない重厚で細密な絵です。

グルベンキャンのギルランダイオの絵が15世紀の女性を現在に甦らせたように、この絵は同時代の男性が今そこにいるかのような迫真性を持って私に迫ってきました。

作者はヤン・ホッサールト(1478-1532)。マセイスとほぼ同年代を生きたフランドルの画家です。ヴィンチ村生まれのレオナルド・ダ・ヴィンチ同様、生誕地の名前をとってヤン・マビューズあるいは単にマビューズと呼ばれることも多い事は後に知りました。

この画家の作品は、ドイツ、ミュンヘンのアルト・ピナコテークにある「ダナエ」、ベルリン絵画館の「ネプテューンとアムピトリーテー」が有名。いずれもクラーク美術館より先に訪れていたのですが、ギルランダイオの時と同じく、正しく認識していなかったのです。

以後マビューズも好きな画家の一人となり、イタリア、パレルモにあるシチリア州立美術館で、彼の緻密な「マルヴァーニャの祭壇画」を見つけた時は、実に嬉しかったのを覚えています。

注:

印象派 : 1874年パリで開かれた第一回印象派展を契機にこの名のついた画家達。

世界的に影響を及ぼした芸術の新潮流。印象派の名前は、この時モネが発表した「印象、日の出」からきている。 室内で筆のタッチを残さずに完璧に仕上げる当時一般的だった絵に比べ、この絵は戸外で即興的に描き、タッチも荒々しく、未完成と見做された。
新聞記者が「なるほど印象的に下手な連中だ」と揶揄してつけたものである。印象派の画家には、ピサロ、マネ、ドガ、シスレー、セザンヌ、モネ、モリゾ、ルノワール、バジール、カサット、カイユボット等がいる。ゴーギャンやゴッホ等、ポスト印象派の画家達を含めることもある。

ダナエ:ギリシャ神話の王女で、男が近づかないよう王に幽閉されるのですが、彼女に一目惚れした全能の神ゼウスが黄金の雨に化けて入り込み、関係を持つ。

この絵はその場面を表したもの。絵にしたのはマビューズが最初。二人の間には半神半人の英雄ペルセウスが生まれる。彼は成長して、髪は蛇でその眼で見たものを石にするメドゥーサの首を取る。

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