鶴川に住んで24年になるが、初めて「武相荘」を訪れた。小田急線鶴川駅から数百メートルほどの距離にありユニクロに隣接している。
NHKで「白州次郎」のドラマが放映されてから特に武相荘は人気が出てよく観光バスが停まっているのを見かける。私もNHKドラマを見るまではさほど関心はなかった。
坂をのぼると門があり、明治初期に立てられたという母屋が見えてくる。白州夫妻は昭和18年(1943年)に鶴川に引っ越して来た。武蔵と相模の境にあるのでこの名前をつけたという。不愛想をひねっただけかと単純に思っていた。内部は撮影禁止になっていた。 家の内部には使用していたと思われる調度品や衣類が陳列されていた。白州次郎の書斎があり蔵書も数多く残っている。
われわれが24年前、鶴川に引っ越してきた当時には白洲正子はここに住んでおり、妻は奉仕活動で訪問したとき会ったそうだ。当時はかなり古びており、こんなところにどんな人が住んでいるのかと思ったそうである。
案内のパンフレットで白州夫妻の長女、牧山桂子さんが自宅であった武相荘と時の移り変わりについての感慨を述べている。同じものがこちらのホーム・ページにも載っている。
入口からの景色。突然昭和初期にタイムスリップ
町田市教育委員会の看板
新しい萱葺き屋根で2006年から2007年にかけて葺き替えた様子がホーム・ページに詳しく載っている。このときの萱葺き職人は中野誠(なかの まこと)という人で1968年京都府美山町生まれ。2007年4月には新たに「美山萱葺株式会社」を発足させた。職人技の継承を危惧したが、心配無用のようだ。
母屋から長屋門
萱葺き屋根のてっぺんに寿の文字が彫られている。違和感を感じたが、調べてみると萱葺き屋根にはつきもので「寿」と「水」は対になって屋根の両側に彫り、子孫繁栄と豊作を祈って縁起をかつぐものらしい。
懐かしい縁側。
家の前の竹林が外部の景色を遮断している。
「武相荘 秋」
萱葺きと柿の木はよく似合う