秋田市立千秋美術館

2011/05/15

秋田帰省の折り、秋田市アトリオン(秋田総合生活文化会館・美術館)二階にある秋田市立千秋美術館訪問。
秋田蘭画で有名な小田野直武、佐竹曙山などの作品が展示されている。 秋田蘭画は「江戸時代に、西洋画の手法を取り入れた構図と純日本的な画材を使用した和洋折衷絵画である。秋田派ともいう。 秋田藩主佐竹義敦(画号・曙山)が鉱山改革のために招いた平賀源内の指導により興る」とある。
 岡田謙三 (1902(明治35)-1982(昭和57))の作品は、具象画はそれなりという気がするが、「日本の伝統美に基づいた幽玄主義(ユーゲニズム)といわれる作風をなす」という抽象画は初心者レベルの私にはよく解らなかった。

この季節は、秋田では桜の開花後の春の花が一せいに咲き始める時期で、「美術館へ花を観に」の企画があり、花の絵を中心とした展示があった。

他に印象に残ったのが、秋田の農村などを写した岩田幸助・大野源二郎の写真展示。
私の小学校の頃の農村風景があり、50数年前の子供の頃の記憶がよみがえった。
 農村の田植え時期は子供も大事な戦力で、私の小学校の頃は、夏休みを減らして6月頃に1週間の田植え休みがあった。父の生家は大きな百姓をしており、我が家も家族総出で手伝いに行った。父たちが苗代で苗を束ねたものを子供たちが運び、母たちが腰を屈めて植えているところに畦から苗の束を投げるのである。コントロールが大切で、外れるとせっかく植えた苗をつぶすこともあった。空中に飛んだ苗の束から水滴が顔に飛び目に浸みた。
数日間の田植えが終わると、宴会がありごちそうが出た。私はゆでたジャガイモにカタクリ粉と砂糖をまぶした甘いあんかけが好きであった。夜、家族と帰りの田んぼ道、植え終わった苗が整列している水田に満天の星が映っていた。写真は感動の記憶も呼び起こす。

 *写真は「農村アーカイブ」サイトから借用。美術館の展示と同じ写真があった。 「農村アーカイブ」サイトはこちら。

もうひとつパンフレットにもある有名な木村伊兵衛の「秋田おばこ」。
ネットで関連情報を探した。
木村伊兵衛は51才の昭和27年6月から昭和46年まで21回秋田を訪れている。この写真は、昭和28年8月のお盆のころ撮ったという。
女性はモデルではないかという人もいるようだが、幼いころ、この女性からバレエを習ったことがあるという仙北市の女性がいたので、農家の女性ではなさそうだが秋田おばこには違いない。
 また、この女性は、大曲市角間川町(今は大仙市)出身の洋子さんといい大曲高校を卒業し、第一回おばこコンクールの入勝者で、ある人が撮った写真が国際写真サロンに入選し、それを見た木村伊兵衛がアサヒカメラで使いたいと大曲に来て大川西根という場所で撮影した、との情報もある。
平成19年から20年にかけてこの美術館では木村 伊兵衛の写真展があった。




「木村 伊兵衛(きむら いへい1901年12月12日 - 1974年5月31日)は戦前・戦後を通じて活躍した日本を代表する著名な写真家の一人。 報道・宣伝写真やストリートスナップ、ポートレート、舞台写真などさまざまなジャンルにおいて数多くの傑作を残している。特に同時代を生きた写真家、土門拳とはリアリズム写真において双璧をなす。(Wikipedia)」

朝日新聞記事抜粋(追記)
 モデルは、大仙市角間川出身の柴田(後に結婚して三上)洋子さん。当時19歳だった。1953年に市内の大川西根小学校近くの田んぼで撮られた写真。きっかけは県内の写真家で、農村を撮り続けた大仙市在住の大野源二郎さん(87)が52年11月に大曲で開かれた野良着姿の女性の美人コンテスト「第1回全県おばこコンクール」に出場した柴田さんを撮影し、国際写真サロンのコンテストに応募し、入選。さらに「アサヒカメラ」の巻頭グラビアになった。
 その写真を知った木村氏が大野さんを訪れ、翌年に柴田さんを撮影することになった。その後、柴田さんのもとには写真撮影の依頼が殺到するが、地元で古典バレエの指導者をしており、断っていた。
 その後上京し衆議院議員秘書になり、実業家の日系2世の男性と結婚し、67年に渡米し2010年10月1日76歳で亡くなるまでロスアンゼルスで暮した。



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