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藤沢秀行名誉棋聖と揮毫

2013/12/15

懇親会の後

私がOB参加している会社囲碁部の「武闘派囲碁会」は、小田急線向ヶ丘遊園駅から徒歩2分の「囲碁サロン向ヶ丘遊園」で毎月第3日曜日に開催されている。5年ほど前に同じ会社囲碁部OBの瀧さんが始めた。
囲碁サロンで最初は気が付かなかったが、壁にかけられている色紙からオーラが感じられ、見ると石の重なった「磊〃」という文字に秀行の署名。
 当囲碁日記でも掲載したが、2009年7月に市ヶ谷の日本棋院で開催された碁会の折、同年5月に亡くなった藤沢名誉棋聖を偲ん日本棋院ロビーで開催されていた「藤沢秀行展」で、藤沢名誉棋聖の書家としても造詣が深いことを知った。棋風が「豪放磊落」と言われている名誉棋聖は好んで「磊」の文字を書いていたようだ。石が3個形よく並んでいる文字は囲碁関連では良く使われており、意味は「石がごろごろと重なっているさま」と、さらに「心が大きく、些細なことにこだわらないさま」とある。私の碁などは部分に執着した石がごろごろの類だが、上手な人の石は全局的に関連した意味を持っている......ものかと思った。

日本棋院2009/07/18

日本棋院2009/07/18

平成20年12月10日から銀座松坂屋で開催された第6回 名誉棋聖 藤沢秀行書展 

平成20年12月10日から銀座松坂屋で開催された第6回 名誉棋聖 藤沢秀行書展 

ご挨拶
今年、八十三になりました。
明ければもうじき八十四歳。七回目の年男です。
何度も死にかけながら、まだ生きています。
もういいだろう、という気持にもなるのですが、閻魔様から相変わらず嫌われているようです。


何事も一期一会と思って参りました。
例えば、過去に同じ碁はひとつとしてありません。
その一手は、二度とない、一度だけの一手なのです。
今回の書展で皆様に御高覧いただけること、誠に有りがたい限りです。
この出会いもただ一度。
いつまでたってもヘたな書ですが、皆様は何を感じて下さるでしょうか。
渾身の思いを込めて書いた「一期一会」の大作が第六回個展の太い柱となっています。


私は長年、碁の道を歩いて来ました。
歩けども遠く、遠くまで来たと思うと、さらにまた先は遠く......
どこまで行くのか、どこへ行くのか。


老いるのは苦しいものです。
厳しいものです。
体は痛い、疲れる、挙げ句の果てに骨まで折れる。
しかし懲りない性分で、プロ棋士を目指す子供たちや若手棋士の指導に力を入れずにはいられません。
いい碁が見たい、素晴らしい棋士に育って欲しい。


個性を伸ばさねば、強くはなりません。
人真似だけでうまくやったり、ただ好き勝手するのではなく、自分の真底から湧き上がるものを表現していくことが必要です。


若い者に何か言うことはないかと聞かれ、「もっと遊べ」と答えました。
しかし同時に「強烈な努力」をせよ、とも答えました。さあ、わかってもらえるでしょうか。


出品作の最後に「迷走」という作品を書きました。
私はいつもあっちこっちへ、どこへ向かうのかわからないまま走り続け、八十三歳にもなってまだ迷走しています。
「無悟」。悟ることはないとわかった、と第一期棋聖に就位した五十二歳の頃、揮毫しました。
無悟と知りながら、未だに迷走している自分に呆れ、笑いがこみ上げてきます。
老いてもなお、楽しいものです。
まだまだ遊び足りないねえ、と言いたくなります。


さて、皆様。
皆様方の人生と私の人生がほんのひととき、この書展で触れ合えた幸運に感謝を致します。
皆様の御健康、御活躍を心よりお祈り申し上げます。


藤沢秀行





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