囲碁日記

囲碁サロン向ヶ丘遊園と武闘派囲碁会

2011/03/20

3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震から10日が過ぎて、会社囲碁部としては、初めての囲碁会が開催された。 囲碁は趣味とはいえ、プロ棋士や碁会所経営者など囲碁を生業とする人々にとっては日々の営みを続けていかなくてはならない。 本碁会も、主催者により、計画停電や電車の運行状況など調べられ、参加者の意向も受け開催にこぎつけた。 私自身も、3月13日に日本棋院で開催予定だった社会人団体戦が中止となり、不完全燃焼していたし、14年住んでいた宮城県在住の知人家族の訃報がメールで伝わり、テレビやネットで「お母さーん」と母を探して泣きじゃくる子供をみてはともに泣いている。また自分の生活でも原発事故や計画停電、連日の余震でストレスが溜まっていた。

この碁会は会社囲碁部OBのTさんが2008年に主催し「武闘派囲碁会」と名付けられた。日曜12時開始、各自45分の持ち時間。最初の対戦は抽せんで決定され、以降は、勝ち負け数で対戦がきまる。通常の碁会は勝率が同じ場合はスイス方式で順位を決定するが、この会では、獲った石の数できまる。中押し、時間切れは紆余曲折があったが30目の負けとなっている。

当日の小田急線の電車は比較的空いていたが、照明は消されていた。会場となる囲碁サロン向ヶ丘遊園は、小田急線向ヶ丘遊園駅から新宿方向の踏切り近くのビル5階にあり、碁会参加者が奇数の場合は、席亭にも参加してもらう。ビルの5階は2部屋に、喫煙者用と別れている。

地震で亡くなった人の冥福を祈って1分間の黙祷のあと対局開始。
初戦は、籤運が悪く強すぎて誰もができれば当たりたくないと思っている、N野8段との5子局。2年程まえは7子置いても序盤でつぶされていたが、最近月例会で4子で勝たせてもらっている。慎重に打ちなんとか勝った。「最近強くなった」とおほめの言葉をいただいた。
2局目はYさんとの私の白番2子局でしかも白からコミ出し。右下に大きな白地が出来たが、反動で中央の私の石が捕られて、やる気を無くし、投了しようかと思ったが、結果は私の半目負けであった。自分は大きな地所を持っていても、石を捕られると闘志が萎える。何か所も先手の場所があったので勝っていたかもしれない。
その後、運よく2連勝し、結果は準優勝であった。

碁会終了後の懇親会ではやはり地震の話題。3月11日の地震発生時にここの碁会所にたまたま来ていたH籐さんは、震度5の揺れで他の客が全員ビルの外へ出たが一人だけ残ったとのこと。また、K瀬さんは大宮に息子夫婦といたが、レンタカーを借りて帰ってきたとのこと。

囲碁サロン向ヶ丘遊園。左下に「プロになってやるぞ」と落書き。

=>囲碁サロン向ヶ丘遊のホーム・ページ

日曜日午前中に子供教室が開催されている。子供たちはみんな礼儀正しい。(4/10)

子供教室の大盤には碁石で「ガンバロウ日本!」の文字。(4/10)

私は3回戦終了で2勝1敗。対局中にもテレビで緊急地震情報が出た。(4/10)

テレビでは枝野官房長官の記者会見。福島原発の様子も気になるが、終わった対局で打った手も気になる。「あそこでこう打っていればよかったかな?」とI田さん。「そうでしたね」とF川さん。

以前に囲碁の大会でもらった「世界最強の扇子」。世界棋戦富士通杯に参加した、李昌鎬・古力など世界トップ棋士や井山裕太・山下啓吾・依田紀基・高尾紳路・河野臨・趙善津・王立誠・山田拓自など日本人棋士のサインがあり、これを持っていくとすこぶる勝率がよくなるとゲンを担げる。



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