囲碁日記


金川正明7段による指導碁と井山裕太名人の本

日本棋院での指導碁を受ける機会があったので、予約申込して3月18日14時に合わせて出かけた。
プロは日本棋院金川正明7段、3面打ちで5子局が私を含め二人3子局が一人であった。

右上の黒の星に対して白は5手目で下辺からコケイマかがり、黒の1間はさみに対し白は7手目ではさんだ黒に上ツケ(Q-12)その後、29手目(O-11)?のハナツケて大事な種石が捕られてしまった。ツケは予想してはいたがまだ大丈夫と簡単に考えてしまい定石書に書いてあるように捕られてしまった。この手順は以前にも上手にやられたことを思いだしたが遅かった。 もとを正せばQ-10の断点を防ぎ繋いでおかなくてはならなかった。


その後右上隅の黒地を捨てて上辺白石を切断し上辺の白を捕ったと思っていたが、白N-11の延びが先手であることに気が付かなかった。ここは早めに当てを決めておくべきであった。 一路上に白のダメをつめながら切りをふせがなくてはならず、黒石も弱くて天元の右上L-11にかけられ、上辺の白石に逃げ出されてしまった。


下辺左で黒142(H-5)に打ちこみ左下辺の白石4子を取ったがこれはエサで上辺からの黒の大石が遮断され、手順に中央の目がとられ最後に上辺F-19にカケツガレて黒の大石がトン死して終了。とられた石は中央に1眼ぐらいはできそうだと読んでいたが甘かった。
対局前の謙虚に弱い石を作らないように、と思ったところが、打ち始めるとブレーキの利かなくなった自動車のように頭に浮かんだところに石がいってしまった。投了して感想戦で「大変な力碁ですね」と言われた。プロが我々に力碁というのは、スジが悪いという意味。最近自分でも謙虚さが足りなくなったとつくづく思う。



反省だらけの囲碁は忘れて、帰りに日本棋院のshopで石井邦生著「わが天才棋士 井山裕太」という本を買った。 昨年第34期名人位を井山が取る以前に書かれたものであることが読んだ後で解った。

石井9段が6才の井山との出会いから初めての名人位挑戦までの記録を綴っている。
この本のクライマックスは2年前第33期名人戦7番勝負の末、井山が惜敗した場面であろう。 第7局終了後井山からの師匠に対する報告の電話に対して、石井9段の慰めの言葉、
「よく頑張ったよ。全体を通して堂々としていた。七番勝負の前に裕太は、打ちたいように打ちますといったね。その通りだったと思うよ。」 ありきたりのなぐさめ方だった。最後にひとことつけ加えた。「次が勝負だよ」井山の返事は「はい」と力強かった。
井山は負けたが十分な手ごたえを感じ、師匠も弟子の力量を信じている。なんとも胸を打つ師匠と弟子の心の通った会話である。

翌年の平成21年、井山は予選リーグを8戦全勝で勝ち上がり再び挑戦者となり、見事に張羽名人に4勝1敗で勝ち第34期名人位を奪取した。結果を知っていて読むのも悪くないな、と思った。この本を読み井山名人のひととなりをわずかながら知ることが出来以前にもまして井山ファンになってしまった。井山は良い師匠に巡り合い、石井9段は良い弟子に出会った。

最後の章に「ヒカルの碁」の原作者ほったゆみ と井山名人との対談が載っている。私も「ヒカルの碁」が12チャンネルのテレビで放映されていたころ確か水曜日の夜7時半からの放映だったと思うができる限り見ていた。このアニメはその後世界各国でも評判になり、子供たちの囲碁への興味を生み出しているという。 原作者は、ヒカルはその後どうなるかとの読者の質問について、「つづきは井山裕太をみてていてください。」という。ヒカルが井山裕太なら佐為は石井9段ということになる。蔵にあった古い碁盤から現れ、ヒカルにしか見えない平安時代の棋士・藤原佐為はヒカルに囲碁を教え、ヒカルが佐為を超えて強くなった後、現れなくなる。
3度目の石井9段と井山の公式対戦での師弟対決で石井9段のプロ棋士と師匠との両面が現れている部分「井山はにくたらしいほど強かった。師匠としては、残念なような、うれしいような..........。」

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