今朝のNHK朝ドラで主人公あさが大隈重信の妻綾子と囲碁を打つ場面があった。 ドラマのモデルとなった広岡浅子の囲碁についての記事が朝日新聞に載っていたこともあった。
NHK「あさが来た」(2016/03/15放映)
広岡浅子が創業に係わった大同生命のホーム・ページ「広岡浅子の教養」に囲碁について書かれている。
「打ち始めると夜の更けるのも知らぬ...」とのことから相当囲碁が好きだったようだ。
NHKドラマの一場面は、囲碁が好きで「将棋は戦争、囲碁は経済」という言葉を残した大隈重信と広岡浅子が囲碁を打っていた、ということから引用した一場面と思う。
広岡浅子
日本棋院の協力で当時の現代女流碁界の母と言われる女流棋士喜多文子名誉八段との指導碁棋譜が、万波奈穂三段、長島梢恵二段の解説付きでネットで公開されている。
この指導碁は東京朝日新聞が1908年(明治41年)企画した当時の著名人と棋士の対局「名流棋譜」でのこと。ちなみに徳川幕府最後の将軍・徳川興山公(慶喜)もこの中の著名人として登場した。
プロ棋士と3子で打てるのは今ではアマ高段者クラスといえる。もっともプロが著名人と打つ時は我々の指導碁とはいささか違うようではあるが、棋譜を見てみると確かに強いのが解る。私のようなレベルがみても堅実で形が綺麗と思う。囲碁で石の形が綺麗というのはとても大事なことで打った石の働きが良くその後の戦いが有利になる。
広岡浅子は1849年生まれ1919年69歳でなくなっている。指導碁対局の1908年は浅子59歳ごろ。