前回のバーンリーから南へ22㎞程行くとベリーという人口8万人足らずの市があり、この町の中心近くにあるのが「ベリー美術館」。
この美術館の発端は、ベリーで製紙工場を経営していた美術コレクターのトーマス・リグレーが1880年に彼の収集した油彩画や水彩画200点余りを市に遺贈したことにあり、それらと他からの寄贈品を展示すべく1901年開館。
重厚な造りの2階建ての美術館に入ると、第494回で詳述したジョージ・フレデリック・ワッツが描いた「トーマス・リグレーの肖像」が出迎えてくれました。
イギリスを代表する風景画の2巨匠、ターナーとコンスタブルもあります。
ヴィクトリア朝最大の画家と言われるアルマ=タデマの妻ローラの「鷹狩」は珍しい。
オランダ人画家のアルマ=タデマは妻が2人の幼子を残して死亡。絵が描けなくなった彼は気分転換も兼ねてイギリスに渡り、著名な画家フォード・マドックス・ブラウンの家に招かれ、居合わせた、まだ17歳の画学生ローラに一目惚れ。
イギリスに帰化して彼女と結婚し、以後ヴィクトリア朝の画家として活躍します。英国での彼の作品に登場する女性のモデルはローラである事が多いと言われます。
妻のローラも一流の画家として遇され、英語圏では時々見かけますが、女流画家らしい子供や女性の肖像画がほとんどで、こういう狩りの場面は初めて目にしました。
女流画家と言えば、「絵筆1本で世を送った女性」と呼ばれるアンナ・リー・メリットの「戦争」もあります。
アンナは1844年、アメリカ、フィラデルフィアの生まれで、解剖学を学びますが、1865年に家族でパリに引っ越すと、何人かの画家の下で絵を学んで過ごし、1870年、普仏戦争を避けてロンドンへ移ります。
有名な美術評論家のヘンリー・メリットと知り合い、指導を受け、1877年4月に結婚しますが、その年の7月に夫は亡くなってしまいます。
二人の間に子供はなく、アンナはその後も再婚することなく、イギリスで暮らし、アメリカにも作品の展示のためにしばしば訪れる生活を続け、イギリスとアメリカ両国で多くの賞を受けています。1930年、英国で没。
彼女の代表作は「締め出された愛」。
19世紀末のイギリスでは女性画家が男性のヌードを描くことはご法度でしたが、アンナはレイトンの勧めで、亡き夫を追悼し、少年のうしろ姿としてヌードを描きました。
アンナはこの作品を1890年、レイトンが会長職にあったロイヤル・アカデミーの展覧会に出展。その後、この絵はロンドンにある国立美術館テート・ブリテンに入り、イギリス国家が所蔵する最初の女流画家作品となりました。
他にもアルバート・ムーアやランドシーアなどがありました。