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美術館訪問記 - 637 ベリー美術館、Bury

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ベリー美術館正面

添付2:ベリー美術館内部

添付3:ワッツ作
「トーマス・リグレーの肖像」

添付4:ターナー作
「カレーの砂浜」

添付5:コンスタブル作
「ハンプステッド・ヒース」

添付6:ローラ・アルマ=タデマ作
「鷹狩」

添付7:アンナ・リー・メリット作
「戦争」

添付8:アンナ・リー・メリット作
「締め出された愛」
テート・ブリテン蔵

添付9:アルバート・ムーア作
「英国の犠牲」

前回のバーンリーから南へ22㎞程行くとベリーという人口8万人足らずの市があり、この町の中心近くにあるのが「ベリー美術館」。

この美術館の発端は、ベリーで製紙工場を経営していた美術コレクターのトーマス・リグレーが1880年に彼の収集した油彩画や水彩画200点余りを市に遺贈したことにあり、それらと他からの寄贈品を展示すべく1901年開館。

重厚な造りの2階建ての美術館に入ると、第494回で詳述したジョージ・フレデリック・ワッツが描いた「トーマス・リグレーの肖像」が出迎えてくれました。

イギリスを代表する風景画の2巨匠、ターナーとコンスタブルもあります。

ヴィクトリア朝最大の画家と言われるアルマ=タデマの妻ローラの「鷹狩」は珍しい。

オランダ人画家のアルマ=タデマは妻が2人の幼子を残して死亡。絵が描けなくなった彼は気分転換も兼ねてイギリスに渡り、著名な画家フォード・マドックス・ブラウンの家に招かれ、居合わせた、まだ17歳の画学生ローラに一目惚れ。

イギリスに帰化して彼女と結婚し、以後ヴィクトリア朝の画家として活躍します。英国での彼の作品に登場する女性のモデルはローラである事が多いと言われます。

妻のローラも一流の画家として遇され、英語圏では時々見かけますが、女流画家らしい子供や女性の肖像画がほとんどで、こういう狩りの場面は初めて目にしました。

女流画家と言えば、「絵筆1本で世を送った女性」と呼ばれるアンナ・リー・メリットの「戦争」もあります。

アンナは1844年、アメリカ、フィラデルフィアの生まれで、解剖学を学びますが、1865年に家族でパリに引っ越すと、何人かの画家の下で絵を学んで過ごし、1870年、普仏戦争を避けてロンドンへ移ります。

有名な美術評論家のヘンリー・メリットと知り合い、指導を受け、1877年4月に結婚しますが、その年の7月に夫は亡くなってしまいます。

二人の間に子供はなく、アンナはその後も再婚することなく、イギリスで暮らし、アメリカにも作品の展示のためにしばしば訪れる生活を続け、イギリスとアメリカ両国で多くの賞を受けています。1930年、英国で没。

彼女の代表作は「締め出された愛」。

19世紀末のイギリスでは女性画家が男性のヌードを描くことはご法度でしたが、アンナはレイトンの勧めで、亡き夫を追悼し、少年のうしろ姿としてヌードを描きました。

アンナはこの作品を1890年、レイトンが会長職にあったロイヤル・アカデミーの展覧会に出展。その後、この絵はロンドンにある国立美術館テート・ブリテンに入り、イギリス国家が所蔵する最初の女流画家作品となりました。

他にもアルバート・ムーアやランドシーアなどがありました。