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美術館訪問記 - 636 タウンリー・ホール美術館・博物館、Burnley

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:タウンリー・ホール美術館・博物館正面

添付2:タウンリー・ホール美術館・博物館のある公園

添付3:タウンリー・ホール美術館・博物館内部

添付4:タウンリー・ホール美術館・博物館2階展示室

添付5:バーン=ジョーンズ作
「木の精」

添付6:ウォーターハウス作
「運命」

添付7:レイトン作
「いかにリサが王を愛したか」

添付8:ストスコップフ作
「ワイングラスと細口瓶のある静物」

添付9:ヘンリー・ジョン・ボッディントン作
「嵐の前の静けさ」

次はバーンリー。イギリス、グレートブリテン島の中心付近、マンチェスターの北30㎞余りの所にある人口73,000人程の市です。

中世初期に、領主の館や王族の森に囲まれた、多くの村落として発達し始め、産業革命では、世界最大のコットン製品の産地の一つとなった、工場町でしたが、現在は、産業化が終了した後の、静かな町となっています。

この町の中心から2㎞足らずの場所に、ゴルフ場もある広大な公園があり、その一角に「タウンリー・ホール美術館・博物館」があります。

格式ある古宮殿の趣きのあるこの建物は、タウンリー一家の居住地でした。1200年頃からこの地に住み、一帯に巨大な領地を持っていたという一家でしたが、1878年に男系が途絶え、1901年に女系の相続者が家と土地を売却。

現在は市の管理する美術館・博物館として、タウンリー家の残した家財や、寄贈された美術品、市の所有していた博物品や美術品を展示しています。

長い間をかけて増改築してきたのでしょう、まるで迷路のような通路を辿って行くのですが、絵画の目ぼしいものが何もありません。ここも無駄足だったかと諦めかけた時、2階隅にあった最後の部屋で報われました。

バーン=ジョーンズやウォーターハウス、レイトンなどが並んでいたのです。

レイトンの「いかにリサが王を愛したか」は、ボッカチオ作のデカメロン中の話で薬局の娘のリサがアラゴン王を遠くから一目見てから恋に落ち、恋煩いで死の床に就いてしまったという情景です。

レイトンの生きたヴィクトリア時代にはジョージ・エリオットなど何人もの作家が、この話を基に物語を紡いでいました。

この展示室で何より凄いのはストスコップフが一点あったこと。

ストスコップフは第213回で詳述しましたが、まるで封印された時間を紐解くような、重厚な存在感、永遠不変の時の流れ、悠久性を感じさせてくれる得難い画家なのです。

しかし、17世紀にストラスブールで活躍した彼は、ドイツとフランスの間で戦乱に揺れた地の不利もあり、死後急速に忘れられ、1930年に再発見されたものの、戦乱の中で焼失したのでしょう、ストスコップフの作品は滅多に目にする事はないのです。

実際、イギリスのほぼ全ての美術館や美術品のある邸宅を観て来ましたが、イギリスにあるストスコップフの作品はこの1作だけです。

置いてあった説明文によると、この絵は1635年頃の作で、完成直後にタウンリー家が購入し、以後邸宅もろとも売却するまで260年以上、この家のダイニング・ルームに飾られていたのだとか。

当時のタウンリー家には具眼の士がいたものとみえます。

一見、コンスタブルと見間違えた作品がありました。作者名を見ると、ヘンリー・ジョン・ボッディントン。

彼は1811年、ロンドンで風景画家の家に生まれ、父親のエドワード・ウィリアムズのみを師として画家になっています。

エドワード・ウィリアムズはイギリスでは有名な画家で、5人の息子も全てひとかどの画家になった画家一家を形成していました。

そのため、ヘンリーと他の二人の兄弟は、混同を避けるため、結婚時に妻の姓を名乗ることにしたのです。画家としての矜恃も勿論あったでしょう。

ボッディントンは一度も本土を離れることなく、生涯イギリスの風景を描き続けて1865年、自宅で病死しています。