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美術館訪問記 - 633 カートライト・ホール美術館、Bradford

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:カートライト・ホール美術館正面

添付2:カートライト・ホール美術館内部

添付9:カートライト・ホール美術館内ホックニー展示室入口

添付10:グイド・レーニ作
「エジプトへの逃避」

イギリス、グレートブリテン島の中心付近、リヴァプールから東に90㎞足らずの所に、ブラッドフォードという都市があります。

19世紀、産業革命で、各種工場や繊維産業の中心地として繁栄した町で、人口54万人足らず、その内アジア系が27%もいて、イギリスでも突出しています。これは繊維産業に従事するため第二次世界大戦後に移住してきたものです。

産業革命からの富で、特にヴィクトリア時代に、近隣の土地から産出した石灰岩を活用した多くの美しい建物群が建造されて今に残っています。

ここにあるのが「カートライト・ホール美術館」。

1904年の開館で、第181回のグラスゴーにあるケルヴィングローヴ美術館と同じ設計者のデザインで、イギリス・バロック様式の美しい姿をしています。

ここの目玉は地元の生んだ世界的画家、デイヴィッド・ホックニー。

ホックニーはまだ説明していませんでしたが、1937年ブラッドフォード生まれ。ロンドン王立美術大学に入学して、美術を専攻。ホックニーは大学にいる間、学校を自宅のように感じ、作品制作に誇りを持っていたと書いています。

ところが、卒業試験で必要なエッセイを書くことを拒否したため、大学が彼を落第させようとした時、ホックニーは抗議のための作品「卒業証書のための人生絵画」を制作、提出します。ホックニーは「作品についてのみ評価するべきだ」と主張したのです。

当時、ホックニーの才能が世の中に認められ、評判が高まっていたこともあり、大学は学校の規則を変更し、彼の作品に賞を与えた上、卒業証書も与えたのでした。

卒業後の1963年、ジカスミン画廊で初個展を開催。ポップ・アーティストの一人に数えられますが、初期の作品はフランシス・ベーコンの影響が見られる暗い色調が特徴でした。

その後、ホックニーはアメリカ合衆国のカリフォルニアを旅行し、1964年からロスアンジェルスに滞在。

陽光に照らされた明るい作風に移行し、現地の家庭に設置されているスイミング・プールからインスピレーションを得て、彼の代名詞となるスイミング・プールの絵画シリーズを制作し始めます。

当時、新しく普及しはじめたアクリル絵の具をいち早く使い、活力に満ちた写実的な明るいスタイルでスイミング・プールの絵画を描いたのです。アメリカでは時代の潮流が抽象画にある中、一貫して具像画に取り組み続けました。

また彼は絵画だけではなく、コピー機やFAX、iPadなどの新しいメディアも使い、作品を作ったり、写真によるコラージュ作品なども作成したり、オペラ衣装の制作や舞台のデザインの仕事をしたりと、自身の持つ数多くの才能を世の中に証明して来ました。

彼は今でも毎日30分泳ぎ、イーゼルの前に6時間立つことが日課だといいます。

彼の代表作の一つ「芸術家の肖像画:プールと2人の人物」は、2018年11月のクリスティーズのオークションで現存作家最高額の約103億円で落札されました。ホックニーはこの絵を描いた年に2万ポンド(約1500万円)で売却していましたが。

2017年、彼の80歳の誕生日を記念して、当美術館に彼のための常設展示室が設けられました。

私が訪れた2018年7月時には、彼の80歳時の写真や家族の写真、彼の装丁した2冊の当地がらみの本などに加え、ヨークシャーやブラッドフォードに焦点を当てた彼の油彩画8点に、グラフィック作品43点が展示されていました。iPadで描いた作品8点も含まれています。

他にもグイド・レーニやエッティ、レイノルズ、ゲインズバラ、ロムニー、ヴァザーリ、ファンタン=ラトゥール、サージェント、ウォーホル等がありました。



(添付3:ホックニー作「卒業証書のための人生絵画」1962年 個人蔵、添付4:ホックニー作「ボルトン交差点」1956年、添付5:ホックニー作「我が両親」1977年、添付6:ホックニー作「紙のプール 18」1978年 および添付7:ホックニー作「無題 894」2011年 iPad作品は著作権上の理由により割愛しました。
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