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美術館訪問記 - 631 バーミンガム博物館・美術館、Birmingham

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:バーミンガム博物館・美術館正面

添付2:バーミンガム博物館・美術館内部

添付3:バーン=ジョーンズ作
「ベツレヘムの星」

添付4:シメオン・ソロモン作
「バッカス」

添付5:ミレイ作
「盲目の少女」

添付6:アーサー・ヒューズ作
「長い婚約期間」

添付7:マドックス・ブラウン作
「イギリスの見納め」

添付8:ロセッティ作
「ベアタ・ベアトリクス」

添付9:ジョヴァンニ・ベッリーニ作
「玉座の聖母子と諸聖人」

添付10:ムリーリョ作
「パドヴァの聖アントニウスの幻影」

イギリス都市のABC順に戻って、バーミンガムには市の中心部近くに「バーミンガム博物館・美術館」があります。

1867年創立で、現在の建物は1885年に開館。高台にある4階建ての建物で、2つのホールと43の展示室からなる広い美術館。

正面から入ると2階がギャラリーで、最初が円形の部屋。中心に彫像があります。

壁に絵が飾ってありますが、どういう訳かジョン・エヴァレット・ミレイは2点共最上段で観難い。他のどうでもよいような画家が観易い位置に置いてあります。その上照明が暗く、修復もされていないのでしょう、絵が黒ずんで見えます。

イギリスは絵画の面では、ヨーロッパの中では後進国ですが、唯一イギリス発信で世界に影響を与えた絵画運動があります。

「ラファエル前派」と呼ばれるもので、当時ロイヤル・アカデミー付属美術学校の学生だったダンテ・ガブリエル・ロセッティ、ウィリアム・ホルマン・ハント、ジョン・エヴァレット・ミレイの3人の画家によって1848年に結成されました。

後にエドワード・バーン=ジョーンズやウィリアム・モリスも加わりますが、フォード・マドックス・ブラウン、フレデリック・サンズ、アーサー・ヒューズ等、広義ではラファエル前派に組み入れられる親派も大勢います。

彼等はアカデミズムに反発して、当時至上とされていたラファエロを否定し、それ以前の素朴で、自然をありのままに捉える絵画に戻る事を主張。

よくある学生達の既成権威への反発とも言えるのですが、文学に主題を採った目新しさや、微細で劇的、ロマン主義的な絵画で人気を得ました。

長く埋もれていたボッティチェッリを再発見したのも彼等の功績です。

ラファエル前派絵画は広く受け入れられ、ギュスターヴ・モローなどの象徴主義につながっていきます。

この美術館はラファエル前派の作品では世界最大の所蔵数を誇るだけあって、美術館のホームページを検索すると油彩と水彩だけでも、ロセッティ(6/12)、バーン=ジョーンズ(20/48)、ジョン・エヴァレット・ミレイ(6/9)、ハント(6/5)、アーサー・ヒューズ(7)、フレデリック・サンズ(3/15)、アルバート・ムーア(3)、マドックス・ブラウン(9/7)、ダイス(2)などを所蔵しています。

デッサンとなるとロセッティ(297)、バーン=ジョーンズ(1028)と凄まじい数です。

特にバーン=ジョーンズには1室充てられており、彼の大作が6点あり、その内の1つ「ベツレヘムの星」は260 x 390cmと水彩画としては世界最大という。

この絵は1897年に美術館の委託で描かれたものです。画家生存中に当美術館が買った唯一の作品。

バーミンガムはバーン=ジョーンズが生まれ育ったところで、彼の作品が多く、バーミンガム博物館・美術館はバーン=ジョーンズ作品の世界最大所有者なのです。

そのバーン=ジョーンズに称賛され、文豪ワイルドや詩人スウィンバーン、評論家ペイターに絶賛された、ギリシャ的エロスの世界を描いた画家シメオン・ソロモンの「バッカス」と「ギリシャの見習い僧」もあります。

見易い場所に、輝かしい色彩美で名高い、ミレイの「盲目の少女」がありました。夕立の過ぎるのを待つ二人の少女の遠景に美しい虹がかかっています。

アーサー・ヒューズの「長い婚約期間」も目を惹きます。ヒューズ特有の息を呑むほど鮮やかな緑と紫の輝きは一度見たらそう簡単には忘れられません。

マドックス・ブラウンの有名な「イギリスの見納め」は、本国で社会的な栄達を得られなかった夫婦が新天地を求めてオーストラリアへ旅立つところです。モデルに使ったのは画家自身と彼の妻。

これはラファエル前派の創立メンバーの一人、彫刻家トーマス・ウールナーが、生活に困窮し、金の採掘に加わるため、家族と共にオーストラリアに渡ったのを見送ったブラウンが、その悲壮な光景に胸を打たれ描いたものでした。

ブラウン自身も当時画家として生計を立てることがほとんどできなかったので、新しい家族と一緒にインドに移住することを考えていたといいますから、感情移入が容易で、彼生涯の傑作を生みだせたのでしょう。

ラファエル前派の中心人物とも言えるロセッティの代表作と見做される「ベアタ・ベアトリクス」もありました。

ダンテ・ガブリエル・ロセッティは1828年、ロンドン生まれ。両親はイタリア人でイギリスに帰化。父親は詩人でカレッジのイタリア語の教師。ロセッティの他の3姉弟とも名の知れた詩人や芸術家になっています。

ロセッティはイギリスでは、画家というよりもむしろ詩人として有名ですが、自分と同じ名前のイタリア最大の詩人、ダンテ・アリギエーリに強い関心を持っていたようで、アリギエーリとアリギエーリの夭折した恋人であり、彼の書いた有名な「神曲」にも登場する、ベアトリーチェが、頻繁にロセッティの絵の題材になっています。

作品名である「ベアタ・ベアトリクス」とは、聖なるベアトリーチェという意味。主題はダンテの「新生」で、ベアトリーチェが地上から天国へ神秘的に運び去られていく瞬間、恍惚のうちにフィレンツェの町を見るところです。

モデルは記憶の中のエリザベス・シッダル。右手に描かれたダンテが、左手の燃える心臓を手にした赤い衣装の愛の寓意像を見つめています。日時計は、ベアトリーチェの死の時を指しているのです。

ベアトリーチェの手にケシの花を落とす赤い鳩は、愛と死のメッセンジャー。そしてケシは眠りと死の象徴で、エリザベスの死の原因になった阿片への暗示もあるでしょう。

ロセッティは奔放な女性関係が問題で、妻のエリザベス・シッダルとは10年間もの婚約期間の後結婚したのですが、冷え切った夫婦関係や女児の死産に心を痛めたエリザベスは、薬(阿片チンキという鎮痛麻酔剤の一種)に溺れるようになり、結婚2年目に、大量の薬を服用して自殺同然の死を遂げます。

彼女の死を悼んだロセッティは未発表の詩を棺に入れて妻を埋葬し、鎮魂の思いを込めて「ベアタ・ベアトリクス」を描くのです。

ところが、妻の死から7年後、ロセッティは妻の墓を掘り起こし、かつて埋めた詩稿を取り戻し、それを出版するという暴挙に出ます。

しかしやがて後悔し始め、自分も酒と阿片チンキに溺れていくようになり、1882年、死去しています。

この美術館にはラファエル前派以外の作品も沢山あります。オールド・マスターのベッリーニとムリーリョを添付しておきましょう

またバーミンガム博物館・美術館の名前どおり、絵画だけでなく中世の彫刻、陶磁器、宝石、衣装、武具や考古学、民俗学、自然史資料なども所蔵しています。