前回触れたアメリカ、グレンズ・フォールズの「ハイド美術館」はニューヨーク市の北、300㎞近くのハドソン川を見下ろす高台にあります。
グレンズ・フォールズはその名の通り、滝のある人口1万5千人足らずの小市ですが、「USAの故郷」と呼ばれる、落ち着いた昔風の佇まいの街です。
美術館は裕福な実業家の長女だったシャーロッテ(1867-1963)が夫のルイス・ハイド(1866-1934)と収集したコレクションを、二人で建てたアメリカン・ルネサンス様式の豪邸に展示してあるものです。
もっとも、二人で集めたのは展示品の1/3くらいで、残りは夫の死後30年近くシャーロッテが情熱を燃やして収集し、質の高いコレクションを作り上げたのです。
この辺は第12回のイザベラ・スチュアート・ガードナー美術館と似ています。
実際、この美術館は「ミニ・ガードナー」とも呼ばれます。とはいえ、建物も収集品も、ガードナー美術館のある大都会ボストンと、ここ田舎町グレンズ・フォールズの違い同様に、大きく異なります。
石油で当てた父親と富豪の実業家だった夫を持ち、ボストン社交界の女王だったイザベラと、製紙工場主の父と義父の会社を継いだ夫を持ち、田舎町で逼塞していたシャーロッテを比較しても可哀そうですが。
それでも、見晴らしの良い高台に美しく手入れされた庭付きの豪邸は並みのものではなく、家具や室内装飾品も洗練されていました。
車寄せ前にベンチが向かい合って置いてある玄関への通路を抜けて中に入ると、天井まで吹き抜けになったドーム付きのホールがありました。
贅に慣れたボストン社交界の人々をも驚かせた、4階まで吹き抜けの、豪壮たるガードナー美術館のヴェネツィア様式の中庭とは比べ物にはなりませんが、アメリカの邸宅のホールとしては一級品。
室内はシャーロッテが住んでいた当時のままということなのでしょう、小さ目の部屋には全て小型のベッドが置いてありました。
何れもシングルで、上流家庭とはいえ、当時は大型ベッドが少なかったようです。
家具や装飾品も其の侭の形で展示されています。そのためか看視員の数も多い。
ギッシリと革表紙の蔵書の詰まったライブラリーでアングルの「パオロとフランチェスカ」の写真を撮ろうとしたら、近付き過ぎたのかブザーが鳴り、看視員が飛んで来ました。本に触ろうとすると鳴るようになっているのだとか。
この絵はアンジェ美術館にある有名な絵とは二人の位置が逆で、背後に忍び寄るジャンチョットの姿もない小品ですが、パオロにキスされて持った本をとり落とすフランチェスカの構図と赤と青の二人の衣装は全く同じです。
コレクションは素晴らしい。
古色蒼然たるボッティチェッリの「受胎告知」は興醒めですが、ティントレット、ヴェロネーゼ、グレコ、ルーベンス、ダイク、ティエポロ、クールベ、ドガ、ルノワール、スーラ、ピカソ等一流どころが揃っています。
ビアスタット、ホィッスラー、ホーマー、エイキンス、セイヤー、チェイス、メトカーフ、ハッサム、ベローズ、国吉等のアメリカ人画家もひけをとりません。
ルイス・ハイドの死の1カ月前に購入したという、レンブラントの傑作「腕を組むキリスト」がここの白眉でしょう。
アメリカの鄙には稀な美術館を堪能して出ると、前の街路樹が色づいていました。