戻る

美術館訪問記- 621 アプトン・ハウス、Banbury

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:アプトン・ハウス外観

添付2:アプトン・ハウス室内

添付3:ウエイデン作
「男の肖像」

添付4:クリヴェッリ作
「二人の使徒」

添付5:ボス作(?)
「東方三博士の礼拝」

添付6:ピーテル・ブルューゲル父作
「聖母マリアの死」

添付7:ヤン・ファン・エイク作
「ゲントの祭壇画」翼を畳んだ状態
ゲント、聖バーフ大聖堂蔵

添付8:グレコ作
「キリストの着衣剥奪」

添付9:ゲインズバラ作
「浅瀬渡り」

添付10:アプトン・ハウス内バスルーム 写真:Creative Commons

ロンドンの北西100㎞余りの所にバンベリーという人口5万人足らずの小都市があり、ここに「アプトン・ハウス」という邸宅美術館があります。

この家は1695年に建造され、シェル石油の創設者マーカス・サミュエルの息子、ウォルター・サミュエルが1927年に購入。

彼は4軒の邸宅を構えていましたが、このアプトン・ハウスと庭園を改装し、自分の収集した美術品の展示場所として主に使用しました。

ウォルターは1948年死亡。同年、邸宅、庭園、コレクションも含めてナショナル・トラスト(第183回参照)に遺贈されています。

ハウス・ツアー開始の11時を待って、受付に行くと、ハウス・ツアーは邸宅のアーキテクチャーを説明するツアーで、中には入らず、外部だけを見るのだと言い、ハウス内部に入れるのは13時からだと言うのです。

ハウス・ツアーが家の内部に入らないと誰が想定し得るでしょうか。

まあしかし、たまにはノンビリして庭園でも散策しろということかと思い、ゆっくり庭園を歩いたり、ショップでハウス本と絵葉書を買ったり、12時開店の付属レストランで昼食を摂ったりして、開館時間を待ちました。

待つ間、食卓で日誌を書いていると、隣に坐っていた土地の人らしい老夫婦が、「ツーリスト・ガイドを書いているのですか」と話しかけてきました。

「地球は狭くなって来ていますね」などと話しながら、ふと前を見ると1歳少しの子供を連れた日本人妻とイギリス人男性のカップルが、日本語で話しているではないですか。

「いい例が目の前にもいますね」と、話が弾んだことでした。

1時になり一番乗りで入ると、各部屋に、部屋の入り口に、写真と番号つきで室内の絵の簡単な説明書が置いてありました。

邸宅美術館は、しっかりした学芸員が専属でいるのが珍しいのか、かかっている絵画について作者名が示されていればよい方で、何の説明書きもなく、スタッフに尋ねても専門知識はなく何も答えられないというのが多いのでその点ではイギリスの邸宅の中では一番良いと言えます。

展示されている絵画の品揃えは素晴らしく、ウエイデン、フーケ、メムリンク、クリヴェッリ、ロット、ドメニコ・ティエポロの、小品ですが、佳品が1点ずつありました。

ボスの珍しい「東方三博士の礼拝」の3幅連図がありましたが、これはボス本人の手になるかどうかは少し怪しいと観ました。

ピーテル・ブルューゲル父のモノクロームの「聖母マリアの死」がありました。

この絵は当時ブルューゲルのいたアントワープで大評判となり、版画が制作され、広く流布しました。

こういうモノクローム絵画はグリザイユというフランス語で呼ばれます。

この画法は13世紀頃からあり、色を付ける手間を省くためや、下絵、版画の元絵、彫刻のように見せかけるトロンプルイユの手法としても使われました。

第170回で紹介したヤン・ファン・エイク作「ゲントの祭壇画」の翼を畳んだ状態の絵にも、この手法が使われていました。

勿論、この絵のように、死を迎えた陰鬱さや、夜の情景を現す美学的効果を狙って使用されることもありました。

他にはティントレットやグレコ、カナレット、グアルディ、ステーン等もあります。

レイノルズやゲインズバラ、ホガース、ロムニー、スタッブス等のイギリス人画家達の作品も当然のように勢揃いしていました。

美術品に限らず、石油王であった一族の優雅な暮らし振りも再現されています。なかでもウォルター夫人によって造られたアールデコ調のバスルームなど、その華やかさは、これまで紹介してきた邸宅では見たこともないものでした。

私が訪れた2010年は室内撮影禁止だったので、写真はWebから借用しましたが、現在は撮影可になっているようです。